Zambia日記(メモ帳より)Part1 15-21.Sep 2002収録
ここではちょっと裏話などを中心に紹介します(下記のサイトも参考にごらんください)
5-9.Aug   Lusaka&Kariba Dam
10-14.Aug  Victria Falls,South Luanga National Park

8/5(月)
 Lusaka空港のimmigrantは簡単.どこからかと聞かれJohannesburgと答えるだけでOK!荷物を受け取りカートに載せてNo declareの入り口を通ると,何のチェックもなく空港出口に出た.程なく少し白髪が目立つG君が出迎え.10数年ぶりか?娘さんも共に出迎え(タラッ プを降りて空港ビルに入るまで少し風がある.A氏は預けたもう1つの荷物を職員から受け取る)我々が着くのを見ていたらしい.ロビーの大きな銅鉱石の展示 の前で記念撮影.出口を出て,G氏の車(黒のHilux)で早速家へ.大きなハンドル防犯バーとシフトキーにも防犯錠を付けている.Mulungshi Villageは塀に囲まれた特別な住宅区でGateはセキュリティが立っていて開けてくれる.彼の家は反対側のへいの近くの47街区.大きな居宅で庭も 広い.数年前,OAUのとき,チャドの大統領が宿泊したという.その時照明器具が新しく替えられたらしい.荷物を置いて昼食(和食)をいただく.夏休みで 子供さんを連れて日本から来られた奥さんが作っていただいた.
 ちょっと休憩後,見本市を見に行く.駐車場の中に車を止め,好奇の表情で見つめる人々をかき分けて,Entranceから入場(入場料は不明).この見 本市の人々を見てやっとdeepで濃いアフリカにやってきたと実感した.人々の熱気の割りには我々から見れば見本市の展示はたいしたものではない.しか し,お祭りのようにpaintingを施した子供がたくさんいる.各パビリオンを廻るうち,日本人2人に会う.1人は青年協力隊の若い学生風の茶髪の青年 だが,すごく礼儀正しくいい印象.そのあとYさんという技術者に会う.この後,Science Educationの展示や農業機械,HIV啓発,教科書展示などを見て廻る.初めて見るキャッサバもあった.本当に黒人ばかり.たまに中国人(?)やイ ンド人,白人も見かけるが少ない.ブラックパワーのアフリカを実感.ぐるっと廻って入り口から再びでて,車で帰る.門扉にぶら下がり何か催しものを見てい た人々の靴が新品ばかりだったのに驚く.
 夜は理科教員(兵庫県立高校)を定年前に辞して理科教材開発でSV(シニアボランティア)に来られている,Iさんが訪ねてきて,共に酒を飲む.M君(筆 者の大学の地学科の同期)を知っているという.この4月から理科教材を1週間に1個程度開発し,英語で説明を書くのが仕事とか.浮沈子やクリップモーター を紹介しているという.12時頃自宅にTel.その後酒が回り結局夜2時まで飲んだ.
8/6(火)
 朝9時に起きるが2日酔い気味.お茶をいただきおかゆをいただく.ほとんど日本食ばかり.部屋を出るとメイドさんとばったり.ネリーさんという.ゆっく り仕事をしているように見えるがあれでも結構ちゃんとやってくれているとのこと.庭師のマンディさんもずっと水をやっている.メイドさんは午前中で掃除洗 濯が主な仕事.午後は他の家に仕事にいくという.庭師は8時から5時だが4時頃には仕事を止めるらしい.昼は適当に外でコンロで何か作って食べるという. 奥さんは電圧が不安定なので,アイロンが熱くなりすぎて,布が焦げて穴があいたことがあるという.冷凍の肉を鶏だと聞いてバザーで買ったらウサギの肉だっ たということもあったという.
 昼まで少し暇なので,子供たち(小3の女の子と小6の男の子の兄妹でいつも喧嘩ばかりしている)を連れてMulungushiの中を
ちょっと散歩にぶらぶら行ってみる.へいの有刺鉄線は治安対策の先進国南アから輸入されたレーザーブレードワイヤー(応力が掛かっていて,切るとバラけて 犯罪人がけがをする仕組みとか)が巻いてある.途中で日本人の子供とお母さんを見つける.少しお母さんと話をする.我々が来ることは日本人社会ではもう話 題になっていたらしい.奥さんはやはりストレスがたまると言われていた.ちょっとそこらへ気軽に歩いて買い物でストレス発散ということが簡単にできない国 だと改めて知った.
 続いてJICA次長さんの住む家は花が美しくバナナ,マンゴ,パパイアなど様々な果物もなっている.このあとまた歩いて帰って昼食はそうめんをいただ く.
 昼食を食べに帰ってきたG氏,2日酔いらしく余り食べない様子.それでも8時から出勤したとか.偉い! 2時過ぎから街にでかける.旧商店街の方は ちょっとさびれていて治安が悪そう.通りの面した店は全て外側に鉄格子が入っている.その裏の方にバラック建ての小屋が立ち並ぶ露地に多くの露店が軒を連 ねる.白人がまったくいない.スーパーの袋に入れたパスポート入りのバッグが気になる.通りの連中がみんな敵対しているように感じる.G氏についてぐるぐ る廻ると電熱線のヒーターや電化製品のパーツ,シマ(とうもろこしの粉をお湯でとく),鶏肉など様々なものを売っている.その後,通りを渡りG氏が懇意に するツーリストのある建物へ.ここは入り口に小銃を持った警官?が座る.Bankが入っているからかセキュリティが保たれているようで,いつもの鉄格子が 見えない.日本でも普通にある近代的なビルの外観である(このあと,数日,このビルに入ったしゃれたカフェで朝食を摂った).ここでまず,South Luanga NPへのツアーを申し込む.flight,accomdation,safari等すべて込みで380US$.あと,ビクトリアフォールズは DayTripの申し込み.これはチャーター便で1400US$.6人で割ると230US$あまり.とりあえずbookingを申し込む.再び車に乗り, ルサカ唯一のManda Hillsという近代的ショッピングセンターに向かう.我々を降ろしたあと,G氏は再び仕事場へ向かう.
 まず,Bankで両替(16時のcloseぎりぎりに何とか間に合う).50US$を23万Kwacha(4500レート).Gameという雑貨屋 (コーナンのような店)とShopRiteという大きなスーパーがメインであと小さなテナントの専門店が並ぶ.随所にAK47を持ったセキュリティ(警 官?)がいたりしてかなり安全なようだ.さっきの市場とは客層があきらかに異なる.服のセンスも良く白人やイスラム教徒の姿も多い.本屋も2軒あり,片一 方には小学校から大学のTextなどをたくさん置いている.3冊高校のテキストを買い,もうひとつの本屋でMapを2つ買う.スーパーではビールや果物な どを山ほど買って駐車場でG氏の迎えを待つ間ずっと人々を見る.車は日本車が多くRV車が多い.きれいにWaxがかかっているし事故の跡も少ない(ただ, 車はマニュアル車がほとんどで,オートマの車は皆無らしい.パーツが少なく,エンストしたときに押しがけのできないオートマの車は誰も買わないらしい). 人々もネクタイを締めていたり女性の服装のセンスはパリやNYと変わらない.ここだけ見ているとザンビアとはとても思えない.しかし,後で聞くとデパート はなくここが唯一のショッピングセンターらしい.白人の姿が店内でやたら眼についたのが印象的.地図を買った本屋では白人の老婦人がきれいな Queen's Englishで値札と伝票をチェックしていた.本屋で見る限り中高の理科は英国のGSSEが幅を効かせている.銃を持ったセキュリティの横で時間待ちの 間,買い物に立ち寄ったネクタイを締めた昨夜のIさんとばったり,彼は30h受ける予定の英語の特訓の日だったとか.午前中はザンビア人と結婚した英国人 の女性から英会話の手ほどき.午後はザンビア人の数学のlecturerから同様の手ほどきとか.官費で英語を習えるのはGood!
 この日まで現地で聞いた話の覚え書き.−−最近できたJICAの1年派遣は日本の学校と合わせた4月から翌年の3月までの派遣となるが,学制が異なる現 地の学校にとっては迷惑となる.また現地の高校は1月始まりで18才で卒業資格がとれるが職業訓練校や大学に入るためには入学月の関係で1年浪人しないと いけないとか.ストライキでtermが伸びればうまくいく場合がある.
 小学校は6才か7才で入れるが戸籍がないので年がわからない子供がいる.それをテストするのに頭を越して手で反対側の耳をつかませ年齢を判断すると言う 話が一番印象に残った.
8/7(水)
 今日はG氏家族と一緒にジンバブエとの国境カリバダムへ向かう.
6h30m起床 
 夜中右足の裏側がかゆいので蚊に食われたかもしれない(マラリアのこともありやや気になる).
8h過ぎ出発
 まず例のツーリストにより,週末のTripのセットのやり直し.どうやらサウスルアンガへの週末ツアーは少し高い420US$の分しか残っていなかった 由.その前日にビクトリア滝に日帰りでいくことになる.
9h前 カリバダムへ向けて出発
 郊外では白い石英を割る業者がたくさん.地場産業らしい.2度ほど警察の検問(何とかコントロールと呼ぶ)に会う.我々は問題なく通過させてくれた.
10h前
 珪化木のHeritageSiteの見学.村を幾つか越えたポツンと看板がある辺鄙なところ.村の子供がやってきたので写真をとる.来る途中,大型ト レーラーがジャックナイフになっているところを辛うじて通り抜ける.ちょっと事故が長引けば通り抜けられずに今日のTripは取りやめとなるところだっ た.
11h前
 バオバブツリーを倒れた場所が象の形をしているNational Monumentを探して,道を分け入る.大地が紅い!渇いた悪路にHiluxの4WDが活躍.20kmほど中に入って道がわからなくなったところで,た またま自転車でとおりかかった村の青年をガイドに頼む.車を止めて歩いてバオバブの木に向かう.近所の子供が一杯出てくる.村人もやってきた.木の写真を 撮って帰るとき,車に乗ろうとするとはだしで破れた服を来たあどけない顔の少年が手を出してMoneyと訴えてくる.心を鬼にして車にのりガイドの青年を 乗せて元の場所に帰る.彼の粗末な出店の前で記念写真を撮る.G氏はK1000を礼に渡す.
 元の道に戻り村の交差点でG氏のスタッフが撮影している現場に偶然でくわす.このあたり中国人の作った道か?まっすぐに作られている.もう1回の山越え ののちカリバ湖畔に下る道に到着.ほどなく湖畔のレストラン(Sea Safari)でFish & TipsとKastle Beerで約1000円.やはりザンビアは英国風なのだ!
15h30m
 カリバダムサイトに到着
 G氏パスポートを預けてダムサイト訪問を告げる.Pに車を止める.ダムの上をゆっくり歩いて横断.Zimbabueの土地を踏む.帰りにダム中央部に測 量用GPSを据えた三脚を発見.青年と話して写真を撮らせてもらう.このあと一気に帰還.2時間半ほどでルサカ市内に入った.ダムサイトの岩石は Gneiss.銀色のmicaが印象的.途中山羊の干し肉のあたりは石灰岩かテラロッサの紅い土.カリバ湖畔から対岸のジンバブエは大阪湾からみた淡路島 のよう.人工湖としては世界最大だという.帰り道の途中,蛇の皮や名産の紫水晶を売る売り子あり.しかしここのアメシストは色は濃いがなぜか結晶面があま りはっきりせず,やや屑石のような感じ.結局買わず.
 夜,昨日Manda Hillsのスーパーで買った冷凍ピザをレンジにかけてもらったが1枚はすでに黒く変色してくしゃくしゃに小さく潰れていた.もう1枚も一部が黒く変色し て異臭を放ち結局食べれずどちらも捨ててしまった.多分南アの食品会社からの運送途中の温度管理ができていなかったからだろうとの結論.しかし近代的な スーパーの意外な一面をはからずも見てしまった.
8/8(木)
 朝からA氏と2人で街に探検にでかける.Manda hillsで降ろしてもらったあと,あるいてタウンまで出かけた.線路の上の橋を越えて交差点を左に曲がると旧市街の中心部Bankや役所や商店が並ぶ. 例のツーリストのあるビルのカフェでコーヒーを飲んで休憩.約1US$(K4500)のコーヒーを飲むのは地元でもお金持ちだけだろう.両替のレートはタ ウンの方が少しいい(K4650=1US$).市街のはずれから道路際の乾燥した土埃を浴びながら,博物館に向かう.半年雨が降っていないらしく,本当に 土埃まみれになる.博物館前にバスが止まり,制服の中学生がたくさん降りてきた.遠足か何かか?みんな高いコーラやファンタを手にしている.たぶん日本円 だと数千円の値段に相当すると思うのだが美味しそうに飲んでいる.博物館の料金はresidenseはK1000なのに我々ForeignerはUS2$ も取られる.高い!.A氏と2人で古い土器や機械などの展示の幾つかを見ているとさっきのお揃いのユニフォームの女の子2人がHow are you?と声を掛けてきた.9th gradeだという.How is Japan?と聞いてきたので,ザンビアと同じくらい素敵だと答えると喜んでいた.しかし展示物は貧弱でdisplay技術も古い.natural histryがとくに貧弱.せっかく素晴らしい自然に恵まれていると日本から来た我々には感じられるのだが.shopも見当たらなかった.このあと Manda Hillsまでぶらぶら歩く.Jacarandaの紫の花が咲き始めたきれいな木がある.
 午後,G氏の奥さんがインド人の店主から頼まれたという編み機のタイミングを取るストロボライトの機械(日本製で日本語取説がついていた)の取説の英語 訳を頼まれる.夕刻再度,Mulungushiを散歩中にG氏車で帰ってくる.ツーリストにいってpaymentを行う.420+300+2.5% (Bank charge)で738US$をVisa Cardで支払う.今日午前中散歩したタウンではケニアから帰ってきたJICAの隊員が1人でデイパックをかついでいて,荷物をナイフで切られて物を取ら れたこともあるらしい.タウンでは白人が極端に少ない.博物館前には珍しく白人のツアーグループを眼にした.
10h前
 夜コーヒーを飲もうとすると突然停電.かなり長い.あきらめて寝ることにしたとき,Iさんが来て星を見ようというので,8×40双眼鏡を持って庭で南十 字などを探す.かなり地平に低くなっているが確かに傾いた南十字がはっきり見える.夏の天の川が天頂に架かる.しかし結構街のあかりもあるようだ.銀河に 沿った星雲星団を見る.M8,M4などきれい.乾電池の虫よけをしばらくつけたが夜半蚊の羽音.再び虫よけをつける.左手をさされてかゆい.マラリアのこ ともありあまりいい気がしない.
8/9(金)
 7h過ぎ起床.再び市内散策.まずJICAオフィスに立ち寄る.頑丈なGateに4人のセキュリティ.塀上には電線,きれいな外観のオフィス.そのあと インターコンチネンタルホテルのSAのカウンター(2F)でreconfirm.航空券を見せてPC画面でcheckしてOK.さらにG氏のオフィスに寄 り荷物を預かってもらう.古くからの市場であるNorth meedまでの地図を書いてもらい,それを頼りに歩く.実は初日ここへ立ち寄るようにいわれたのだが,店が開いているように見えなかったので止めていた. 途中の道はオフィス勤めの男女や学生が歩いていくが風が強く,土埃が凄い.ズボンが何となく紅い粉に染まるような気がする.
 団地のとなりにあるNorth meedの市場は奥まった位置にあり,表の道からは見えない.野菜市場をくぐり抜けると奥の方に木彫りや銅製品などを売る土産物や何軒も現れる.コンニチ ワと声を掛けてくる売り子がいれば,ニンハオという売り子もいて面白い.ある店ではその靴と交換しないかとかそのウエアと交換しないかと持ちかけてくる. また怪しい宝石の小さな色とりどりの原石や磨いたのを奥から出して来て安くするから買えという.原石の持ち出しがうるさいというのとイミテーションが多い ことを聞いていたので当然話を聞くだけにしてやめる.K15000というマラカイトの腕輪をK5000にまけさせる.さらに2個買うからとK4500に負 けてもらう.同様にして,blueのマラカイトの腕輪もK5000で買う.銅製の板飾りは仲々よさそうだが大きいのはK950000とか言ってくるので止 めてここからタウンまでまた歩く.ツーリストのあるビルのカフェで昨日と同じようにクロワッサンとコーヒー(K7000)を朝食にする.このあとインド人 の経営する土産物屋がすぐ隣のビルにあってjust looking.TaxiでManda Hillsに戻る(乗る前に交渉したがK10000より下がらず).宝石店で銀のブレスレット(90US$)とリング(18US$)を見る.後で家に電話 するがブレスレットは欲しくないという返事で買うのを止める.ビールをshopriteで買って本屋で本を見る.このあとG氏にピックアップしてもらい家 に帰る.
 午後再び市内のホテルに土産を見に行く.その前にツーリストに寄って明日以降の予定のFix.あとタウンの両替屋で10US$をカウンタにたまたま多く 置いていたK100の新札50枚と換えてもらう(これをクラスへの土産にした).Holiday innの前で降ろしてもらい,ホテル敷地内の土産物屋を物色.あと,Pamodi Hotelにも寄るが,土産物屋は工事中.コーヒーをロビーで注文.由緒あるホテルらしいが工事中でもあり閑散としている.再びHoliday innに戻り,3US$のマラカイトの原石を磨いたものの袋詰めを2個買う.この後,ホテルの前のTaxiでMulungushiまで帰る.K15000 をK12000に交渉して値切る(あとで聞くとconference centerとvillageを間違えたようでvillageははるかに遠く,ガソリン代が要っただろうとのこと).ちなみにザンビアの正規のタクシーや ミニバスは青く塗られているが,カリバ湖などからジンバブエに勝手に行かないような配慮もあるという.また,Taxiはかならず乗る前に行き先を言って値 段交渉をするのがルール.番号が車体に明記してあるので,後から値段をつり上げるような事はなく信用できるという.帰宅して明日リビングストンへのチャー ターに使うはずの飛行機がエンジン故障で飛べなくなりNdolaに滞在.明日は早朝いけなくなったとの連絡.G氏帰宅.結局明後日早朝発でリビングストン に飛んで滝やMuseumを見て3時頃ルサカに戻り,飛行機を乗り換えてサウスルアンガに飛ぶというハードスケジュールになってしまった.今日も夕食の途 中で何度か停電.
 ザンビアエアーの逸話を幾つも聞く.イスラエルで機体が借金のかたに取られて別の便で帰る羽目に陥ったり,間違った空港に降りたり,イタリアの空港で燃 料代が払えずに飛び立てなくなり,乗客からcashでUS$を徴収した話とか,−−−一杯.ルサカ空港はビーコンがないのでベテランのパイロットしか着陸 できないとか,−−−.どこまでが噂でどこからが真実かちょっと確かめようもないが,この国の現状の一面を表しているようだ.さらにウィークエンドや銀行 にキャッシュが無くなったり,ガソリンスタンドにガソリンが無くなることもあるとか,およそ日本では考えられないのがアフリカの現状のようだ.
 夜,眠ろうとすると遠くで散発的にパン(ポコン)という銃声が何度か聞こえた.威嚇の場合もあれば本当に撃っている場合もあるとか.そういえばどの Bankでもショッピングセンターの入り口でも連射型の小銃を持った警官か軍隊がすわっている.こちらが前を通るときには少し銃身をずらしてくれるのでい いのだが,−−−.



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