関空からLAまでは,AA航空の切符なのですが,JAL | 2003年にカナダに行く折りに,LAX着陸寸前に見事 |
これも中央右の淡色の露地がきれいに切れているのがわか | LAXからアメリカンエアに乗って,サンパウロまでまた果てしなく長い道のりが続きます.とりあえずハイネケンで調整. |
さてLAXで3時間の時間待ちで,次にGRU(サンパウ | さて,肝心の食事はさすがにAA便でJALよりは落ちま |
12時間近くかかって,ようやくサンパウロ空港に到着. | 空港から学会が開かれる大学のあるカンピーナスまでは, |
高架鉄道もあるみたいですがどこに行くのかは知りません | 広い国なのにやたら高層アパートが目につきます(これあとで解ったのですが,高級住宅はみんな高層だそうです.なぜなら玄関でセキュリティが守られるからです.戸建ては治安が悪いので,お金持ちはあまり住まないそうです).それと |
治安があまりよろしくないと聞いているカンピーナスのバ | バスターミナルからホテルまではタクシーに乗りましたが |
やっと宿に到着.どこにもホテルの看板が出ていない.もぐり営業なのかも知れないとあとでHさんと話した.しかしBooking.comには登録されていて評判は抜群にいい宿.部屋の外の共用のキッチンと冷蔵庫と食堂の写真. | 部屋も広くて快適.ベッドが2つあるのですが,当 シャワーをあびてゆっくりしたあと |
仕方なくビールを買いに宿の若いオーナ | 宿から学会会場までの歩道にあった敷石.鳥のデザインがなかなか優雅.フェルシックとマフィックの石の組み合わせ.そういえば宿のあるあたりはマフィックな貫入岩のドレライトだと地質図にあった(これ最終日に採集して帰ることになる). |
大学を探し歩いてやっと見つけた理学部棟.実はたまたま通りあわせて道を尋ねた大学の生物の先生にわざわざ車で送ってもらった.とても親切で感動した. | 昼食に向かう道すがら,とても花がきれい(ブーゲンビリアの色の違い). |
大学の少しましな食堂の昼食.バッフェ料理で1500円ほどだったか.ビールも飲む. | 何か取り過ぎた感もあり. |
赤いラテライトと大学校舎.ドレライトが風化したものらしい. | 宿で食べた朝食.朝食は付いていて,食堂でこのように適当にアレンジして食べる. |
まじめにセッションを聞く.ほかにポルトガル語のセッションが2部屋ある.これは英語セッションの部屋. | ブラジルレアルのお札. |
一応盛況なポスター会場.しかしここだけでポスターの枚数はそれほど多くあ | 手前は次の学会の場所として売り込みに来た島根県のスタッフ一同のブース.努力のかいあって,次回は日本の島根県開催に決まりました!おめでとう! |
夕刻,会場の外にあった車を改造したような何かのブース.石が展示したあった.地質調査所のものか. | 特産の紫水晶が置いてあったが,仔細不明. |
ある日の朝食.島根県からのスタッフが結構泊まっていたので一緒に朝食. | 今回はベーコンエッグを調理した.簡単な調理も台所でできる. |
宿の玄関.どこにもホテルの名前もない.電流の泥棒よけは南アフリカと同じ. | 大学の建物の壁絵. |
冬の木々.しかし冬にしては昼間は暑い!歩きまわると汗が出て,宿に帰って休憩の前にシャワーを浴びる. | 同宿のアルゼンチン人が飲んでいた飲み物.マテ茶というらしい.これを彼らはゆっくりと飲んでいた. |
近所のスーパーで買った夕食用のマンゴーとパンと塩漬け | 塩漬けのオリーブを消費するために朝ごはんに付け合せ.しかし塩辛かった.宿に半分寄付した. |
ポスター会場の受付担当の兄ちゃん.院生かな.日本語を | ある日の昼食は少し豪勢にホテルのような雰囲気の学食( |
日本人A氏の発表. |
手作り実験装置でバカ受け. |
一応まじめにポスター発表.この他にポスターセッションのコンビ−ナみたいな仕事もあてがわれて,5人の発表者の発表の取りまとめまでして,結構大変だった. |
学会会場に当てられた建物. |
荷物を少なくしたので,途中で洗濯.宿のバケツを借りる. |
乾いた冬の天気ですぐに乾く.これはもう午後遅くの風景. |
ややこしそうなカンピーナスの繁華街の路地を抜けて, |
学会最終日は日本人参加者で打ち上げ夕食会.ブラジル人 |
何か食事を取り過ぎてお腹が一杯に.ビールも進む進む. |
世話になった宿の若いご主人夫妻と.このあと部屋の鍵を返し忘れる.青くなって
空港行きのバスからメールすると,君にギフトだと言われるが,やはり返さなければとタイ行きの明くる日の関空の郵便局から書留で土産とともに送付.しかし
2週間後に連絡するも着いたという返事はない.どこに消えたのか,部屋の鍵? |