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さて宿泊した,えりも町田中旅館から,ひたすら南を目指す.紀伊半島とよく似た景色.左側に海岸段丘
右は果てしない海.
| やっと岬の駐車場に到着.朝まだ8時半でほとんど車は停まっていない.まずは岬までの遊歩道を行く.
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有名なえりも岬の看板の前で写真のポーズ.背景にまだ海の上にまで日高山脈の末端の岩礁が続いている.興味深い風景.
| 岡本おさみ詞,吉田拓郎曲の「襟裳岬」の歌碑.もうひとつ古い歌のもあった.「えりもの春は何もない春です」の歌詞が本当に心に染み入る旅となった.
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さて,岬突端への道を辿り,
| 海岸に降りてきました.昆布が吹き寄せられたもので一杯.
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さてその端の方に目指す露頭がありました.http://www.geosites-hokkaido.org/geosites/site0400.htmlに書かれている古第三紀の襟裳層(漸進統Oligocene)の礫岩です.古くはより新しいMioceneと考えられていたと文献にあります.
| その砂岩と礫岩の境目.
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堆積岩の専門家B先生の出番です.
| こちらは2年前の台風で大きく削られてしまったという旧道の階段.道南の至る所に台風の爪あとが残されていました.
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こちらは岬の突端に建つ博物館の中から.
| 襟裳名物のオットセイが住んでいる様子が望遠鏡で確認できました.
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こちらは自販機で買った北海道名物のガラナ.ドクターペッパーみたいな味です.
| 途中の道の駅のレストランで昼食.山菜うどんだったか,
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またもや紀伊半島みたいな風景をこんどはひたすら北上します.
| 海岸には名物の昆布を拾う人たち.
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そして競走馬の牧場.
| このあたりは競走馬の産地として有名とか.
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さて車をひたすら飛ばして,次の見学地点の浜厚真フェリー埠頭そばの堆積層(後期更新世)のテフラ(火山噴出物)の見学.
| 泥炭層の上に軽石層が見えるのが,文献によると1667年のテフラに相当するはずなのですが.
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泥炭層と軽石層の間に薄い泥炭があって,さらに1663年の薄い軽石層があると文献にはあるのですが,なかなか見づらい.
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ぶ厚い泥炭層の部分.中間に軽石があるように見える.これが2500〜3000年前のテフラか.
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海岸の様子.最初なかなか場所がわからずまた車の駐車場所にも困った.しかし海岸には何人か釣り人の姿が.
| 投げ釣りをしている人に声をかけたら朝からの釣果を見せてくれました.立派なマコカレイが数匹.やはり魚影は濃い.さすがに北海道.
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このあと北東方向に厚真町を目指します.
| まだ昨年秋の地震の山崩れ跡がそのまま残る厚真町内.冬の間は雪で作業ができなかったので,この春からの復旧作業がやっと始まったみたいです.
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崩れた建物もそのまま残っていました.ちょっと外に出て写真を撮るのは遠慮しました.
| 同様に山崩れあと.この山腹だけが山崩れを起こすというこの地震特有の被害が現地に行ってよくわかりました.
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典型的な山腹山崩れ.尾根筋が残っているのが特徴.火山灰などの水平な地層の側からの成因が様々に議論されています.
| 右側が山崩れで左側がその崩れを整備しているあたり.前方には破壊された家屋が見える.
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厚真町から札幌に抜ける途中で立ち寄った追分駅の道の駅だったか.蒸気機関車の展示がありました.
| さて札幌で大阪に帰るB先生を降ろして,残りのメンバーは一路士別まで.2時間半の行程.夜にやっと士別のホテルに着いて一服.明日からは士別巡検が始まります.
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