★2006 09/21-23(木-土) バイロイトのRAMADA hotelおよび帰国機中からの日記.
−−ヨーロッパではせみが鳴かない.これは確かめられた.大きな感動と若干の失望と−−.
学会の締めの講演をパスして,大学から4番のバスで戻り,ホテルでこれを記す.まだ14時すぎ.
ハンブルクに到着したあと,例によって,タクシーを使わずに電車(Sバーン)と徒歩でホテルへ.途中で道を聞いたムスリムの男はアラビア語のような言葉
で道を教えてくれた.ホテルはイスラム教徒の多い地区の中にあった.チェックインの最中に留学生だったL君が迎えに来てくれる.お父さん,お母さんも一緒
で早速ご挨拶.荷物を置いたあと,早速お父さんの車でハンブルク見物に.夜6時を回っているのにまだ4時ころのように太陽が高い.港や市内の名所を見物.
特に爆撃の後をそのまま残す塔が印象的.原爆ドームのようなモニュメントだとL君.彼の高校を見学したりして,とっぷり日の暮れた9時すぎから遅い夕食を
駅前のレストランで.ウエイターが気を利かせて店に一枚だけよういしているという日本語のメニューを持ってきてくれる.魚のグリルを中心にしたコンポを注
文.腹ペコでおいしかった.その後ホテルまで送ってもらう.本当にありがたい異郷の出会いでL君と彼の家族に感謝.再開を約す.それにしても電力関係の会
社に勤めるというお父さんの,ジョークを連発し,猛スピードで車を操る快活ぶりに,何かドイツ人に対する感覚が最初から変えられてしまった.
翌日,ハンブルク美術館をやっと見つけて入館するが,なんと改築中でムンクを含めて近代の一番みたい絵の棟が全部クローズされていた.しかたなく,午前
中を美術館で費やして,駅の中のピザ屋でピザとペプシを飲んで午後は港見物に.港まで地下鉄(Uバーン)で出かける.1日使えるハンブルクパスを買ったの
で,美術館は特別展の値段.港内見学の船の乗船も10ユーロが8ユーロに割引.さっそく乗り込みちょうど1時間の見学.地下鉄で帰り,一旦フロントに預け
た荷物を受け取りにまた電車と徒歩の往復.一汗かいてようやく今度はDBのREを探すが時刻表が出発時間を到着時間と見間違えていて,駅員に聞く.ようやくキールに
向けて出発.
キールまでは約1時間半.発車まぎわに混んでくる.携帯で話したりあまりマナーはよくない.キールまでは平原のなかを走る.9月にしては暑くなる.巡検
のオーナーが予約してくれていた小さなホテルをようやく探してチェックイン.駅まで買出しと港方面の見学.駅の中のスーパーでビールを買う.安い.ついで
にピザなど.
巡検出発当日.ロビーに下りると思いがけなく女性が声をかけてくる.巡検のガイドのS女史だった.巡検ガイドをもらい.車に乗車.2台ある車のうちアジ
ア人が固まった方に座る羽目に.既知の日本人2人と韓国の2人組,と台湾人1人.運転手とガイドの女史とが大学が用意したワゴンに乗り込む.
初日はキールの海洋研究所を見学.高校生の研究発表と聞いたあと,氷河期のモレーン跡の粘土層の見学.途中の道にフリントがたくさん落ちている.サンプ
ルを拾う.ゆったりとうねる平原で露頭はやっとクリークの両岸の狭い場所のみ.あとはブレーメンまでアウトバーンを飛ばしてサイエンスセンターを見学のあ
と,ブレーメンの市内のホテルにチェックイン.レストランに食べに出かけるメンバーを尻目にまたまた駅の店でファーストフードを買う.夕暮れの旧市内ユネ
スコ世界遺産地区をしばし見学.なぜか駅前に赤い鳥居が立っているのが印象的.
巡検2日目.恐竜公園.石炭紀に棲んだ仲間のトクサに驚いたほかは,やや人工的なディスプレイで飽きる.新鮮だったのはリップルマークの保存博物館だけ.やや期待はずれ.
午後はゴスラーまでの長いアウトバーンの旅.150km/h近くの速度で飛ばす飛ばす.GPSでトラックログをとる.
ゴスラーには感動.まさに中世の街がそのまま存在する.石畳とうろこの家ばかり.その中の一軒がホテル.夕刻,市内観光ツアで地元のガイドが世界遺産地
区を案内.これがなかなか興味あふれる話しで面白かった.ジーメンスの創始者の古い家を日本の企業が金にあかせて買いとったという話しなど興味深い話しが
聴けた.夕食はホテルのディナー.南アフリカの白人夫婦と同席.有色人種によい印象を持っていないのか(あくまでその時点での私の想像,この印象はのちに
大幅に修正される,後述)あまり会話は進まない.ホテルも古く,トイレとシャワーが外で部屋を出る音に気を遣う.シャワーはこの日は結局我慢.
巡検3日目.近くの銀山の見学.博物館と坑道の見学.大きな水車だけが見もの.昼食を兼ねて山を登る.ずりのほかは大した露頭なし.頂上近くのレストラ
ンのサイトからゴスラーの遠景が見事.これがこのトリップの最大の感動ごと.昼食のサラダはあまりに大盛りで残してしまう.午後は一路ローン山系へ.小さ
な村のホテルの別館に泊まる.教会がきれいに見える.このホテルが巡検の中では一番良かった.屋根裏部屋にしては広く,清潔.夕方のワークショップのあと
この夜はみんなで一緒に夕食.このころより段々英語になれてくる.この日は巡検の期間を教員も参加しやすいよう夏休みなどの学校の休みの期間に配置してく
れるよう意見をいう.
巡検最終日.宿の近くのローン山系の一つに登る.ブロッケンの妖怪で有名な山もこの近くだそうだが,この日は涼しい快晴.しかし森に入ってもほとんど鳥
の声を聴かない.路に添って驚くほどの量の多種のきのこを初めて見る.「沈黙の春」と「チェルノブイリの悲劇」の両方を思い出す.山を登り少し息がはずん
だ頃ほどなく,大規模な玄武岩の柱状節理のサイトに到着.例によってやや歯切れの悪いS女史の説明で,どうも溶岩流ではなく,火道のダイクらしいことは解
るが詳しい説明はない.彼女も専門外でよく解らないと言っているように感じる.柱状節理とどうみてもタフブレッチャーが同居する露頭でその成因についての
ディスカッションが続く.韓国の古生物のL先生がしつこく公式な説明に食い下がっていたのが印象的.
このあと山を降り,キャンプ場のレストランの外のテーブルで昼食.この日は朝大食したので某国研のG氏が以前試みたように,料理を頼まずビールの
みを注文.バスで一路バイロイトへ.昼食で初めて飲んだビールのために,小用が近くなり,いまかいまかとやや焦るうちに東進したワゴン車はバイロイト着.
さすがにアウトバーンの旅は予定時間より早めに到着.夕刻すぐに始まるアイスブレイクのためわざわざホテルに車で立ち寄りチェックインを済ましたあとの軽
装で大学まで連れて行ってくれる.(ここで一旦ブレイク)(続きを帰りのシベリア上空のエールフランスの機内で書く.なぜドイツからの帰路がエールフランスなのかは後述).
受付はほとんど先頭に並んで,今回の学会資料やグッズが入った袋をもらう.巡検費用と学会フィーの支払いは受付でカードで済ませるシステムに.このあた
りがまだ今回のカンファレンスのよく解らないところ.その外のボタニカルガーデンのアイスブレーカーにはまだ誰も来ていなかった.とりあえずボランティア
の学生からビールと簡単なつまみをもらう.そうこうするうちに袋を置いた椅子で地元の高校の先生2人と隣り合い,色々話す.科学に特化したドイツでは唯一
の高校だという.大学に附属しているところまで良く似ている.地学(地質学)を唯一教えているという.ドイツはアインシュタインを産んだ土地なのに,現在
は物理の履修率が低く,若者の科学への関心や進路が低く問題だと話していた.その後,続々とメンバーの後続がきて,縁たけなわとなるが土曜日で最終のバス
がでるというので,20h近くに大学を後にする.この日は市内のバスどおりの石畳の上のレストランでバイロイトで合流したN氏,F氏の研究仲間とドイツの
高校の先生,それにカナダ以来おなじみのアルゼンチンのS女史で晩飯.4日間の巡検で疲れていて,何を注文したかほとんど覚えていない.
翌日朝からは基本的に6時すぎに携帯の目覚ましで起床.朝食はホテルのレストランのビュッヘで山盛り食べる.少し遅れて大学へ.ポスターを貼るピンを探
してうろうろ.受付のアルバイト学生が気をきかして探してきてくれる.何とか貼り終わり,それぞれの会場を覗く.シドニー,カナダとすでに顔見知りがちら
ほら.幾つかの部屋を回って出てくると自分のポスターを熱心に見ているムスリムのベールが印象的な彼女を発見.シドニーで一緒だったインドネシアの研究者
のD女史.早速再会の挨拶.シドニーで自作地震計に随分興味を持ってくれた数少ない人で,うれしい.午後メールチェックをしようと入ったPC部屋で運悪く
開かれていたワークショップに参加する羽目に.でも少人数だったし,こちらも意見を言えたので自分の発表の練習には良かったか.
夜はみんなどこか遠くのお城のディナーに参加とかで,その種の行事が苦手な私と,前回のカナダで同宿していたN氏とは街にジャンクフードの買出しに.ピ
ザかサンドイッチとビール.結局これがあとまで定食コースとなる.それでもドイツのスーパーのビールは缶ではなく,プラスティックのビンに入った
500mlのものがほとんど.これの新しい銘柄を片っ端から賞味する.安くて1ユーロもしないのが驚く.結局5泊で銀河高原ビールみたいな濁ったやや濃い
銘柄(ピルスナータイプではないもの)がうまいことを発見.
学会2日目は1日巡検で,大学のバス停から2台の大型バスで出発.自分たちのバスは例のフランスのおばさんとペルーのおじさんがかなり遅刻してバスの出
発を遅らせ,いいわけをしながら乗り込んできた彼女をカナダの某大学教授が怒っていた.東方へアウトバーンを飛ばしてバーバリア地方の地質巡検.結局これ
も新鮮な露頭はほとんどなく,私市に良く似た花崗岩の巨石地帯では,結晶の大きさが目に付くラパキビ型の花崗岩.かなりの距離をあがってまた下る.景色が
きれいだが,新鮮な露頭に乏しい.途中で集団とはぐれてしまい,やや
焦るが待つうちに合流.フィリピンのご夫婦やUSの博物館のスタッフと歓談など.両者とも日本に縁があって少し日本語が解るので助かる.午後は今は活動を
停止した金鉱山跡やKTBサイトなどを巡って夕方遅く終了.はるばる日本から出かけてきたにしては,ちょっとこれもややディサポインティング.まあ段々他
の参加者との会話がはずむようになってきたことだけが,翌日の発表を控えた私にとっては,よいことか.途中の花崗岩の公園でペルーの教授がアブストの投稿
受理などを巡る学会運営のいいかげんさを怒っていたが,USからの参加者など他の人がスポンサーがカナダのときは比べ物にならないほど小さく,気の毒だか
らあまり言わないでとなだめていた.まあ仕方がないか.夕食は昼の巡検でもらったサンドイッチののこりと朝のパンの残りで済ます.
夜はF氏らのビールパーティーを断って,ひたすらimpressの原稿を手直し.また特に,最初のスライドのあたりの導入の入り方をメモる.これは結果的に成功で,すんなりと発表に入ることができた.12時前に睡眠.
学会3日目,いよいよ発表の日であるが,朝食時にアルゼンチンのS女史と同席.朝食も顔見知りばかりとなる.大学ではとりあえずメールのチェック.よう
やくPC部屋の使い方と自分の大学のWebメールのとり方がわかり,溜まったメールに目を通す.spamの多さに閉口.そのうちの幾つかにはローマ字で返
事を書くが,ドイツのキーボードはYの位置にzがあってこれが具合が悪い.また@マークの入れ方がわからず隣の学生に教えてもらう.ALTキーなど3箇所
の同時押しという離れ業でいれる.自分のセッションが12時に始まったので,それを聴く.なんと座長は例のカナダの尊大なおじさんではないか.おまけに部
屋の遮光が悪くPCの画面はやや明るく醜い.どうもこの学会準備が万事この調子で,何か幸先悪そう.とりあえず地元ドイツのどこかの研究所の衛星データ関
連の発表を2つ聴く.それが終わるとこのドイツの衆は10人ほどがみんな出て行って,会場は閑散.大丈夫かな.昼の休憩に入ったところで,自分のPCの接
続を確認.当然昼飯を飛ばして,まだまだ手を入れる.以前の同僚のS氏(地学教育における私の大先輩)が教え子の秘書の女性とその娘さんとでポスターを貼
りにやってくる.聴くと優雅なドイツ旅行を楽しんでいたとか.いつもながらこの偉大な先輩の余裕ぶりには驚かされる.また市内観光に出るという先輩と別れ
て,会場に戻り,会場の画面表示があまり良くないので,フォントを全部太字に変更.午後のセッションが始まり段々とナーバスに.それでも2つ前の顔見知り
のペルーの人の英語がそんなにうまくなかったので,大分安心.ようやく自分の番がきて,自己紹介ののち,発表に.自分でも驚くほどすらすらとスライドをつ
なげたし,こちらの言いたいことはかなり伝わったので大満足.最初にトキの切手を見せたところや,地震予知と神社の「おみくじ」を並べたあたりでかなり導
入がうまくいったことを実感.質問やコメントが3つほど飛び込んできたが何とか答えられた.例の座長がとてもほめてくれて,研究者の絶滅が心配なのはカナ
ダも同じだと冗談を言って会場が沸いた.座長と握手をして無事終了.席にもどるとそれまであまりフレンドリーでないと感じていた南アの白人夫婦が「とても
エキサレントな発表で感動して楽しめた」とわざわざ手書きのメモを手渡してくれる.今回のドイツ旅行で一番うれしかったことだ.このあとこの夫婦はそれま
でと打って変わってとてもフレンドリーに変わったから驚く.
そんなこんなで,その後の休憩のときのポスターは随分余裕がでた話ができるようになった.やはり発展途上国の人や同じように実験をしている人が感心を
持ってくれている.海洋研究所で海水の循環モデルを研究しているドイツの女性や,英国でこの種の実験を高校でやろうとしている人など何人かのネームカード
をいただく.こちらは名刺を用意する時間すらなかったので,メールを送ることを約す.休憩後の最後のセッションは,同じ日本からG氏や最後の米国の人の
GPSの発表などに意見や質問をする余裕が出てきた.発表が終わったし,昼を抜いたので,夕刻はいつもより多めにビールと食料を買い込む.大型テナントに
入ったplusでビールやソーセージ,野菜サラダとサーディンの缶詰,ピザやサンドイッチが半額になったのなどをしこたま買い込む.(今シベリア上空の山
岳地帯の上空に入ってやや気流が不安定に,バイカル湖の北方を通過中,現在ドイツ時間の午後9時.離陸から7時間近くが経過,トイレに行こうとしたがアテ
ンダントにシートベルトを締めておいてくださいとしかられる)
最終日の明日に発表を控えたN氏はややナーバスな様子.ようやく長い私にとっては記念すべき1日が終わった.
最終日,朝は少し送れて大学へ.メールチェックの後,N氏が発表する会場を覗く.この大学とにかく椅子が全部1列並んでいて,両端か狭い部屋では片方に
しか通路がない.これで講義の途中などでトイレに行くときは奥の学生は1列全部立たせないと出れない設計になっているのだが.これもドイツ的ということ
か?
N氏の発表を聞いて,さらにその後のインドネシアの人の発表でセッションが終了.後の全体の総括セッションは飛ばして帰ってくる.後でN氏の発表は座長
のI氏が全大会で取り上げて褒めていたとか.午後はホテルでちょっとまとめのメモを取る.その後帰ってきたN氏,F氏と市内まで土産を買いに(現在高度
9144mと高度が上がり,緯度も上がったので,外気温は-51度まで下がる.対地速度も855km/h台に落ちる).まず,郵便局に日本に送る荷物を出
しに.ここで問題.郵便局の年配の女性スタッフはまったく英語を解さない.たまたま居合わせた学会メンバーのオーストラリアの顔見知りの女性に英語で通訳して
もらう.高いエアメールではなく船便にしてもらうのに一汗書く.よく旅行書に英語が通用すると書いてあるのは観光地だけだとあらためて認識.それでも
6kgの荷物の運賃が52ユーロと高い.5-10kgは同じ値段なので10kg近くにした方が得だったが,空港で万が一超過荷重の料金を上乗せされるより
はましかと,仕方なく料金を支払う.チョコレートや文房具などMaid in
Germanyを確認して買い込む.例の南アの夫婦にまた出くわす.ユーロの紙幣を模ったチョコを見せてもらい早速それを買い込む.あと地質博物館(写真
が取れない)とワグナー記念館を夕方遅くに見学.あと中華料理屋で焼きそばをテイクアウト.夜少しだけビアパーティ.結局,この日買った中国人の作った
「焼きそば」が今回のドイツ旅行では一番おいしい食べ物だった.
さていよいよ帰る日.早朝7時半に珍しく荷物もあるのでホテルをタクシーで3人で出発.駅へ.この日の巡検に集まった顔見知りたちとまた駅前で出くわ
す.お前もこの巡検に参加するのかと聞かれる. いやもう今日ここから帰るというと残念そう.ニュルンベルグまでの1時間あまりの行程.贅沢をして1等にする.しかし違うのはちょっと席に余裕があるの
と,頭のところのカバーだけか.それでも2等は出勤ラッシュで混んできたのでこれは正解.しかしあいかわらず乗り込んできた若い女がすぐ横で携帯をかけ
る.ガラスには携帯禁止のマークがあるのに.よほど文句を言ってやろうかと思ったがドイツ語で喧嘩もできずやめにした.大人の携帯マナーは確実に日本より
悪い印象.
ほどなくニュルンベルグ駅到着.地下鉄に乗り換え空港へ.ここで前述の災難が発生.飛行機の時刻表示にフランクフルトに行く私の便とKLMでオランダに
飛ぶN氏,F氏の乗る便だけがなぜか,表示に文字が.ドイツ語なので当然わからない.いやな予感.とりあえず,それぞれ分かれて各チェックインの列に並
ぶ.途中でN氏がどうもキャンセルらしいと連絡をくれる.そのうちスタッフが「フランクフルト」と言っている.手を挙げると,向こうのチケットカウンタに
行けといわれる.これは一大事.チケットカウンタも混んでいる.一足先に手続きが終わった風の日本人ビジネスマン2人に声を掛けると,どうもエールフランスか何かで代替してくるよ
うだとのこと.ちょっと安心.やっと番がまわってきて,少し手間取ったが今から30分もたたずに出るエールフランスのパリ行きに乗れと通告されチケットを渡される.あわて
てまたまた向かい側のエールフランスのチェックインカウンタを探して走る.こちらは空いていて良かった.荷物を預けて,教えられた搭乗口へ走る.セキュリティゲートに汗を拭きながら到着,列に並んでいた若い女性が笑って先に通してくれる.出発ゲートにはバスが待って
いて,並んでいた列に滑り込みセーフ.冷や汗と本当の汗をかいた.早朝無理をして出てきて良かった.ぎりぎりだと面倒なことになったはず.というわけで,バスを降りてタラップを上り,狭いFOKKERの首長竜タイプの1+2席列の地方便に飛び乗り,2時間たらずでなぜか
,あこがりのパリに降りる羽目に.当然分かれたN氏たちとはとても連絡はとれない.向こうは向こうできっとうまくやっているだろう(これあとで解ったがその日の内の帰国便に乗り継ぐのに結構大変だったようだ.友人F氏は韓国経由になったとか).1時間半のフライトで
シャルルドゴール空港に到着.あこがれのフランスの土地を踏む.どうもEU内は国内便扱いでイミグラントの処理もないみたい.日本人が目に付き始める.今度は次のOSAKAまでの
飛行機の搭乗口を探し,出国ゲートとセキュリティをくぐって,やっと一息.自宅に電話したあと,免税品店で娘と家人に化粧品を初めて買う.日本人らしき老
夫婦に値段を尋ねると関空の免税店よりは少し高いとのこと.でもまあパリ特製だということで目をつぶって幾つか購入.しめて87ユーロとはり込む.黒人の
キュートな店員とパリに来た経緯を少し話す.フランスの印象はと聞かれてほんの1時間足らずの滞在でわかるはずないと答えると笑っていた.搭乗がすでに始
まっていて,列に並びJALのコードシェア便とわかった.日本人が多く国内便みたい.このあたりはドイツの田舎の空港と大違い.
現在バイカル湖北方を抜けてAldanPlatouに入るところ,まだ機内は照明が消えて起きている人はまばら.今回はアイスクリームやジュース,ビールと小さなヌードル(うどん)を途中のサービスの場所でもらう.もう
もらえるものは何でももらうお上りさん状態.PCのバッテリも意外ともっている.すでに2時間近く使ってやっと半分に減ったところ.山岳地帯でまたゆれだすのか−−−.というわけでこれで長いドイツ物語は一旦終わる.あと3時間半の表示.それではまた改訂をお楽しみに.
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