<南アフリカ編>Part2.地学巡検に出発,そして帰還.27.Aug.,23- 29.Sep.,6.Oct.2002手帳メモより再録. 21.Oct.2003改訂
準備編はこちら,PART1 はこちら

7/28(ヨハネスバーグ周辺1日巡検)
 早朝,もう少しで寝過ごすところだった.大体枕元のホテル謹製の時計の目覚ましを合わせたまではよかったがこれが午後の時間になっていたのだ.すんでの ところで6時半に起きた.あわてて起きてシャワーを使いクロワッサンの残りを湧かしたインスタントコーヒーで流し込み(流石240V.早く沸く),支度を 整えて7h40m頃ロビーに出ていった.日本人らしい人が前のテーブルにすわったので,思い切って「日本の方ですが?」と聞くと「No,I speak English」と言われてしまいちょっと後悔.でもその後集合のとき失礼を詫びると握手をしてくれて韓国の地物の偉いさんであることがわかった.防衛大 でも教えていたとか.奥さんと娘さんを連れていた.その後,ツアーリーダーのGavin氏がやってきてみんなと握手.日本人らしい人も数人いる.インドネ シアからの留学生Aさんと親しくなりバスの席を隣合わせにすわる.このあとはOfficial siteの巡検レポート参照.
 昼食はボタニカルガーデンのレストランの外のテーブルで取った.バッフェだが,インパラの肉を煮たものがある.とりあえず試しに食べる.臭くなく柔らか く美味しい.飲み物代を払わずに歩き出したのであわてて店の女の子がやって来た.ガビン氏が対応.みんなすでに歩き出している.あとどうしたのか忘れてし まった.バッフェはすべて英国式?結構どこも美味かった.ミネラルウオーターももちろん有料.

昼過ぎ(滝の下で)
  カナダの女性の地質研究者から滝の下でNikonのデジカメを褒められる.USドルでいくらするかと聞かれabout 1000US$と答える.彼女は古い日本製のフィルム1眼レフを持っていた.来年夏にカナダに行くと話すと喜んでくれる.バスの中では聞き取りにくい説明 も露頭では少し分りやすい.J.H.Parkのスティームエンジン駆動の話はすごくよく分った.Gavinはオーストラリアなまりがあるように思う(これ 結局英国のある地方のなまりだそうなのだが,南アの標準英語みたい).ほどなくホテルへ.結局Jo'burgの中心部は通らず.荷物のまとめをして19h からのmeetingへ.
19:00 1日巡検後の夜.明日からの巡検の説明会.ホテルの会議室で資料が配られる.巡検パンフなどもらう.部屋をshareするコンビの発表など.その後,夕食 はAさん,Sさん(九大の先生,中国の方),九大の院生O君,S君それにSWISSのジオロジストというメンバーでホテル1階のタイ料理店.トムヤンクン と焼き飯だが後者は量が多くて残してしまう.85.5R.4.5RはテーブルにTipで残す.伝票のguarantyという所にTipを書いて渡すのがルールだ そうでそんなことも知らなかった.このあとSwissの方とAさんとでホテルの駐車場をぐるっと一周.南十字星を探す.かなり低い位置にあった.しかし街 の明かりが明るい.ともあれ大変充実した1日だった.この1日だけでも来たかいはある.まだ古い石という実感はほとんどわかない.風化が進んだものも多い が,Quarziteのように新しそうなものもある.今日は昨日とは逆にtoo enough.早く寝ることにする.

7/29(まだ朝早いサントンから,金鉱山へ)
 朝暗いうちにホテルを出発.ヨハネスバーグの夜景がきれい.途中ソウェトの街を通り,いくつかのメサのリッジを越えるたびに夜が明け出した.ほどなく Anglo GoldのMponeng Mine.朝食と説明会をミーティングルームのようなところで受ける.M3〜4の地震の坑内でおこるのをSeismic Networkで記録しているとのこと.着替え室で服を下着まですべて交換させられる.靴は大きいのばかりで困るがやっと小さいのを出してもらった.ヘル メットもつける.着替え室にはシャワーとトイレがついている.鉱山のトイレ の高さにびっくり.着替えて出たところで2班に分けられて別々のバスで鉱山へ.あとビデオで記録.ナミビアの彼女はビデオを持って入ったの にあまりのハードワークで結局撮れなかったという.テープをコピーして渡してあげると約束.モンゴルのGeologistは最初フランス語をしゃべったの でフランス人と思っていた.しかし聞くとウランバートル大学の地質学の教授でモンゴルで最初に女性でPh.Dを取り,また最初の地質学の研究者だと言っ た.10才の少女の時に地質学を研究しようと決意したと言っていた.しかし同世代は死んだ人も多く,若い世代との間にギャップがあり問題だと言っていた.
 坑道のトロッコ列車の時間待ちの間に,ボツワナのdiamond serveyerセドリックや鉱山の若い黒人の女性mining geologistと話す.なかなかcuteな娘である.
16h30m ラステンバーグに向かう途中.右側に見事なTransvaal SupergroupのEscarpmentが姿を見せる.かなり長く20分近く続く.そしてBushveld complexに繋がると言っている.サンダウンラウンチホテルは結構遠い.ラステンバーグを越えるころからスラムのような家が左側(西側)にずっと続 く.西空の夕陽に照らされて,「遠い夜明け」ならぬ「遠い夕暮れ」を感じてしまった.やっとSundown Lunch Hotelに到着.西部劇に出てきそうなホテル.3つ星というが造りはそれほどよくない.Twin Sharingで東大のIさんと.彼は調査で外国にでずっぱりだという.フィリピンには20日ほど学位論文の調査で,また最近は熱水鉱床のジョイントプロ ジェクトでインドネシアとか.Wカップサッカーもジャカルタのホテルで見ていたとか.Field Economic Geologistである.鉱山の案内者がくれた金鉱石サンプルを半分差し上げる.代わりに彼の不要なサンプルをもらう.夕食はバッフェであるがここだけ 食事はもう一つだった.ビールは7.5R.店員にもう1本頼んで部屋で飲む.8時からの鉱山技術者によるpresentationは専門的すぎて悪いけれ ど眠たかった.10hすぎに眠る.

7/30(今日は白金鉱山へ,クレーターへ)
 3時前に目覚めてトイレに立ってしばらく眠れず.朝方再びうとうとしてI氏の目覚ましで起きる.サンプルは持ち帰らず別送することにして気が軽くなっ た.
6h30m check out ラステンバーグの白金鉱山へ出発.途中またスラムの立ち並ぶところあり.ゴミが散乱している.かと思うと鉱山が近づいたあたりは高級住宅が立ち並 び,セキュリティに電流のフェンスか例のレーザーブレードワイヤー(ザンビア編を参照のこと)の防御のある塀が目立つ.さらに塀の中に犬を飼っている家も 多い.鉱山に行く途中,バスが鉄道線路の下を通ろうとして天井が橋梁につかえるハプニング.別の道に変更.鉱山のスポーツセンターで朝食をとりながらレク チャー.宣伝用ビデオを見る.HIV対策への貢献やpolution,securityへの取り組みが印象的.外でMelensky Reefの鉱石のサンプルの写真も撮る.そのあと例によって着替えてシャフトの竪坑へ.今度はバッテリがやけに重い.黄色のうわっぱりがちょっとごわごわ する.耳栓も渡される.Paardekraal shaft.昨日程潜らずだいぶ歩いて,階段を上り切羽へ.UG2の ポイントは地下530m.クロマイトの真っ黒な中にきらきら光るのがきれい.しかし粉状になっている.適当なサンプルを幾つか拾うが重い!昼 食はスポーツセンターにバスで移動.これは美味しかった.ビールもいただく.何かみやげ(実は懐中電灯MagLight.白金の文鎮ではないかと期待した のだがこれでも嬉しい)とブックレットをもらう.Melensky Reefでも白金の分量は5ppmだという.つまり1tで5g.こちらの方にはPlやPyrox(自形)の周りを埋めるsulfide(pyriteが変 質)があるという(I氏).これがsulfide liquidがあった証拠であるという.また坑道は発破をかけて鉱脈が崩れやすいように,foot wall(下盤)側に掘るという.勉強になった.
 午後,現存する隕石孔としてはアクセスがたやすいTswaingCraterを目指す.最初に立ち寄った博物館風のオフィスでは地形模型があった.しか しややみすぼらしい展示だった.ここでガイドブックを買う.リムにはほとんど頂上直前までバスで登ったが,そんなに周囲からの高度を感じない.思ったより 小さいかな?リムやがけは赤茶けたGraniteが分布する.写真は逆光となった.ここを初め て隕石孔と論じたジーンシューメイカーの石碑に感激.白いSaltとgraniteを花崗岩研究者K氏への土産に取る.バス に乗ってリムの斜面を降りるとき,zebraの群れが道を一瞬横切るのに出くわす.インパラも見る.気の早いサファリの出現に一同喜ぶ.裾野を降りるとス ラムが続く.観光客目当て店や人もちらほら.このあと一旦山(Ridge)を谷を刻む地形(アフリカーンスの名前をGavinが説明したが忘れた)を越え ると夕暮れ迫るプレトリアの街.夕方6時だというのに店はほとんどしまり,あたりを歩く人もまばら.しかも黒人ばかりで白人の歩行者をまったく見ない.ま だオフィス街は煌々と電気がついたところがあるので彼らはきっと車に乗っているのだろう.Pretea Hotelは3つ星だが昨日のホテルよりずっと高級感がある.ただツインのベッドがひっついているのに閉口.これを苦労して離した.サニタ リが大変広い.バッフェの夕食後,外に出ようとインドネシアのA氏とフロントを訪ねるとall stores closedと言われる.6時半に全部しまるらしい.この街には夜のショッピングは存在しない!夕食ではニシンかコノシロ科の魚の料理が出る.燻製のよう に焼かれていて少し塩辛いが美味しかった.魚はフィッシュアンドチップスを除くとこの旅では結構珍しかった.

7/31(今日はいよいよダイヤモンド,そして広大な露天掘りの炭田)
 ホテルは市内の結構賑やかな地域にあるようだが,ここは良かった.Protea系列は3つ星というが,ここの部屋は大変気に入った.料理も美味しかっ た.さてそのホテルを出発して,朝バスで市内の目抜き通りをぐるっと一周した.(ウィンストンチャーチルはこの街でボーア戦争の時捕虜となっていたらし い.そういった解説が後で撮ったビデオを再生して分った.)
 朝の出勤風景.黒人8割,白人2割といった感じ.大きな博物館の横を通る.大使館の通りを抜けて,高速道路のインターチェンジを通り抜けて,郊外へ.や がて鉱山に到着.まずレクチャールームでレクチャー.Boronが色の原因という話や,三角形に発破をかけてごそっと岩石を落とす仕組みなどが解説され る.20人だけがUNDERGROUNGツアーに参加できるのだが,昨日希望を聞かれたとき,地下の希望が少なかったので地下を希望した.最初意外にも 20名に達せず,最後希望を募ったほどだった.服を着替えて,少し歩いて竪坑のエレベータに乗る.今日はどうせサンプルできないとザックもハンマーも止め て,巡検袋にビデオとカメラのみを入れてきた.ランプのバッテリが重たい.しばし歩いて,Y字に別れるところで岩石の破片をみんな興味深く見る.カナダの彼女はさかんにキンバーライトをたたく.この破片をUAEの彼は熱心に集めて いる.どうせ検査をされると思い,かけらを2つほどズボンのポケットに入れる.しかし切羽にいくはずのエレベータが故障らしく長く待たされる.結 局待たされたあげく切羽には行けず.上に上がって,ビッグホールの横に出る.大きい.ここで写真をパノラマで撮る.あと博物館と宝石店を訪れる.カナダの 彼女はハンマーを持ったまま宝石店に入り店員を驚かせていた.I'm a geologistなどと言っていた.UAEの彼は30分くらい粘ってどうもかなり高いダイヤを買った模様.昼食はゴルフ場のレストラン.あまり時間が無 かった.UAEの彼は遅れてきたので食べたのかな?このところKastleBeerを飲むのが定番.このあとMiddleberg mineまで2時間弱の行程.windingする風景のなかを高速道路を東へ.
 早速事務所でレクチャー.これが長かった.4-5%がsulfer.ashが13-14%でこれをwashingするらしい.8mthick.no fire problem.dusk explosionとメモにある.このあと,バスに乗り,露天掘りの露頭に向かうがこれが遠かった.途中牛が放牧されていたりする原野をバスは埃を巻き上 げて走る.その横をどこまでも長い石炭を運ぶベルトコンベアーが続く.ドイツ人が炭田の広さを聞くと,ドイツよりも広いと案内者が言っていたとか.1時間 近く走って,やっと切羽に到着.水平層を長方形に切り出している.広い.風が強く寒い.多分この旅行中もっとも寒い日だった.カナダの彼女は半パンで寒い寒いとふるえていた.サンプリングなど をしながら発破の時間を待つ.砂岩の瓦礫のなかに,ときどき石炭の破片を見つける.石炭は軽いのでかけらを幾つかサンプリングする.寒い中やっと待った甲 斐があって,何度か車がサイレンを鳴らして行き交ったあと,発破.しかしタイミングが合わず,ビデオは失敗.煙だけを撮影した.バスに乗って,また遠い道 のりを帰り,今日はこの炭田のレストランバーでbraaiの夕食.肉は美味しかった.干し肉も口にする.ワインもたくさん開けられる.コンゴから来たというちょっとオスマンサンコンさんに似たmining companyに勤める人と話す.フランス語が公用語なので英語は苦手だと話していた.内戦の話しが出て彼の顔が曇る.しかしその内戦も何とか停戦にこぎ 着けたと嬉しそうに話した.食事後,ほどなくWit Bank Hotel.仲々きれいなホテル.このProtea系列は3つ星であるが,どれもこじんまりときれいなホテルである.ただ,どのホテルにも停電用のローソ クが置いてある.疲れていたのと,ワインを飲んだので9時頃就寝.3時に一度目覚めるが再び睡眠.だんだんとJetRagがとれてきた.

8/1(東へLydenbergからクロム鉱山)
5:15 起床.シャワーを浴びて家にtel.何度か不通のあと繋がるがルス電.旅に出て1週間がすぎ,ついに8月.
7:00 出発.今日は曇り.昨日から寒くなってきているがワイシャツの上にラガーシャツとさらにウインドブレーカーで十分.そんなに寒い感じはしない. (空は一面曇り空.夕方には再び晴れる).
 Lydenbergは割とおしゃれな田舎町.瀟洒なレストランや住宅が起伏の中に続き,小川も流れる.このあとDwarsRiverMineを訪ねる. トイレ&軽食のあとlecture.その後すぐopen pitを見学.サンプリング.UG2の縞模様が見事.そしてDwarsRiverの遺跡を見学.dumela!とCedrickがBotswanaの挨拶 を教えてくれる.
 夜.食事後Mrs.カナダとナミビアのMrs.Vickyにつかま る.ワインを1本持ってきてくれて,東大のIさんと4人で飲む.部屋のベッドが1つしかなかったとホテルの部屋を代えてもらうのに往生したこと.両夫人の ご主人の話しから,9.11のテロ事件まで話が及んだ.カナダの彼女はどういう理由があるにせよ,アメリカのアフガン空爆は許せないと息巻いていた. innocentなpeopleを空爆すること自体が犯罪だと言っていた.最後にとうとう,広島を知っている日本人のあなたは当然そう思うでしょ.と同意 を求められ少々困ってしまった.そういえばこの巡検はUSAからの参加者が少なかった.本当はその反論も聞きたかったが.この夜はなかなか よいconversationができた.私が自分の妻が急に silent(quiet)になるのはsign of dangerだといったのに彼女達は笑い転げていた.11時ころ就寝.部屋がちょっと暑くエアコンを26度に設定して眠る.

8/2(アルカリ炭酸塩貫入岩体Fosker Mineからクルーガー国立公園へ)
朝方,エアコンはI氏が切ってくれていた.やや冷える.ちょっと遅く6h30m起床(4h過ぎから断続的に目が醒める).
8h 出発.Impala inn.昨夜,一昨夜のProterより少し落ちる?同じ系列だが.(昨夜は夕食前に九大の学生さんと近所のスーパーにビールなど探しに出たが店は無かっ た.ガソリンスタンドがあっただけ.しかし田舎はのんびりした風景だった.ここまでくればあまり夜も危険な感じはしないのだが,−−−.)
 Foskor Mine.大変近い.早速lecture(video)のあと,open pitへ.中腹と底の2か所で採集.diopsideと金雲母の縞状構造が面白い.所々にペグマタイト状のでかい結晶が出 る.これを中心に採集.このあと発破を見学.これはうまくビデオに収める.もう1か所,石捨て場でfoskoriteを採集. magnetite,serpentine,carbonatiteなどの集合体.鉱山の技師にどこから来たのかと聞かれ.日本から,地球の裏側からだと 答える.あと,工場の設備を見学.軽食(コーラ,ハンバーガーとフライドポテト)を事務所でとり,出発.途中トイレ休憩のスーパーで空き箱をもらう.つい でにpost officeの代わりのようなところで送料を聞く.87R+2.10R/kg,Max30kg,2mだそうである.とても親切で丁寧に説明してくれた.し かしこの値段実際に後で空港郵便局から送った送料よりかなり安い.Kuruger NPに向かう.といってもずいぶん近く.Gateのofficeでテレカ(20R)を買い,家に電話.2分近く話して,12Rと安い.花崗岩の風化残丘と 巨大な蟻塚が多い.土地は野焼きの跡が随所に残る.土は紅い.灌木が多い地帯だ.遠くにジンバブエだろうか低い丘が水平に連なる.
 ドライブ中に幾つかの動物を見る.夜のナイトドライブは野焼きがきれいなのと象の集団に出くわした意外はunsuccesible だった.しかし,南天の銀河がきれいに見えた.さそりが天頂でケンタウルスのα,βを経て Southern Crossに至る.夜.10時頃就寝.夕食はFish&Meat&Chickenの豪華版だった. バッフェではなく店員が注文を聞きに来た,メインディッシュは肉か,魚かの選択であった.

8/3(Letaba camp〜Olifants River〜Satara Camp)the Other Big5
朝6h15m 起床.しかし,I氏を呼びに行く間にモーニングサファリに行くBusが出てしまい,ちょっと園内を散歩して朝食をレストランでとる.スコッ トランドのProfと隣合う.かっこいい英国紳士である.氏にスコット ランドはNorthern Englandと言いかけたら,即座にNorthern Britishと訂正された.しかし君の英語は Goodだと半分お世辞で褒められる.ちょっと嬉しかった.部屋に帰ってサンプルの整理.Shopping Centerが8時に開くと聞いて,開くのを待って,段ボールをもらいにいく.スタッフがロッカーの上に上げた空箱をいくつかとってくれる.帰ってきた Gavin氏に聞くとJo'burgの空港のPost Officeは24h営業だと教えてくれる(これ,実は間違いですんでのところで荷物を送れなくなるところだった).段ボールを部屋で切り貼りして頑丈な サンプル箱を作る.ポーターの女性が2個のサンプル箱(実はあとで空港で重さを測ると14kgと16kgあった)を2個頭の上に載せて運んでくれる.これ にはびっくり.もちろん10Rチップを渡す.これをバスの腹に積む.
 13hすぎにOlifants Campに到着.KNPでは全体で1万頭以上の象がいるが,多すぎて7〜8000頭が最大数.コントロールするためジンバブエやモザンビークに transferしようとしているがまた帰ってきてしまうとか.河はKarooのdoleriteが点在し美しく広大な風景.game driveではウオーキングサファリ,バスが戻ってこなくて断念.1時間近く待つ間,Gavin氏がいろんな話をする.思い切って聞いてみると彼は南アの 生まれて,ルサカにも89年頃?explorerの仕事で住んでいたという.しかし最近遊びで行ったザンビアのサファリは最低だったと言っていた(これ, あとでZambiaのSafariも経験した私にはちょっと納得できない!たぶん場所が違うのだろうと思うが).
 KNPのトイレはどれも高くない.子供が来るからか?しかし日本人は我々以外目にしなかった.zibra,saddle bird?など立て続けに現れて車内は撮影に忙しくなる.夕方近く数100頭はいると思われる壮大なバイソンの群れに出くわす.Gavin氏も見たことが ないという.このOlifants RiverからSatara Campの道は当たり.昨日の夜の貧相な動物相のドライブが嘘のよう.
<キャンプ内でショッピング>
Tシャツ R145,ビーチサンダル R80,帽子 R60〜,帽子(皮) R200〜,ミネラルW R3.7,Kastle Beer R4.3(チープ!)
 夜Farwell Braai,ワインを飲む.ナミビアの Vickyのテーブルに昨夜のお返しでワインを1本持っていく.そのあと,リッ クが我々のテーブルにすわる.彼は南アはdangerousで嫌いだと言っていた.黒人の彼がいうのだから相当なものだ.車は夜交差点で止まってはいけない.15〜6才の少 年が足の靴下にピストルを隠していてHold Upさせられて金をとられるという.ボツワナやナミビアは彼に言わせるとまだ安全だという.
 院生のO君達はナミビアのWindohock市内で夜散策したらしい.S君とS先生は鉱物の専門店でたくさん仕入れたらしい.しかし公にはナミビアは鉱物の持ち出しは禁止だとのこと.Iさんは持ち出しの申請 (結構簡単らしい)をして,買ったとか.南アは岩石の持ち出しに関してとくに制限はないそうだ.夜,Braaiの柵の外にスポットハイエナが肉の臭いに やってきて,にわかサファリに早変わり.みんなカメラを向けている.Small Beefの他はベジタリアンに徹する.
10h頃就寝.2h30m頃一旦目覚めた他は6時までぐっすり.ようやくJetRagがとれる.

8/4 ヨハネスブルグに戻る車中(巡検の終了)
 KNP最後の朝.SataraCampを出発.直前にショップでTシャツR145×2枚と絵はがき5枚を買う.KNPもこのあたりに来ると平原が多くな る.Letabaのあたりでよく見た残丘もなくなる.蟻塚も少ない.ちなみにI氏によると蟻塚はZrO2が集まるので年代測定に用いられるとか.ずっと KNPを南に下ってきたが,駐車場やショップなどで日本人についぞ会わなかった.空港で会ったS氏夫妻とは結局出くわさず.昨夜Braaiからの帰り,南 十字が雲で見えなくなっていたが,Busが南下するにつれまた晴れてくる.ついにBusからLion(雌)を見る.
9h30m 途中Graniteの露頭.3.2billion Basementの古いもの.背後はGabbroの山.インパラは悲しいほどに澄んだ眼をしている.狩られる宿命に生まれた speciesのあえかなはかなさを象徴するかのように.
11h10m Sukuza Camp到着 PostOfficeは閉まっていた.家にTel R7.5.着く直前の河にGneiss-Migmataite化したGranite. 3.2billion years.KurugarGateに向けて最後のGameDrive.
 Gateをあっけなく越える.Gateの外には人工的な建物があるが,中にはCampを除いてほとんど無かったことに気づく.Berbertonの説明 がある.あたりのGraniteは地球最初の大陸地殻!旅が最後に近づいて,車 内ではleaderのGavin氏へのサイン帳(花が押し花にしてあってきれい)や,ドライバー氏へのチップを入れる封筒などが回される.I 氏と2人でR50入れた.ちなみに昨夜のワインは私のおごりでR90.ビールはR8でおつりのうちR1をチップとしてお盆に返した.段々と山のなかを縫う ようになる.そういえば沖積層のようなものを見ない.風化した花崗岩が直接ドーム状にでている岩体の他はラテライトの赤茶けた土に被われる. SpringBakの土産物店で,店員はナミビアからの輸入といっていたがどうみてもWitwatersland産に間違いのない含金礫岩を買う(I氏の お墨付き).R150安い!KWIKSPARというスーパーが多い.Mpalungaの山越え.南アで初めての雨に見舞われる.Escarpmentが次々に現れ る.VictoriaSupergroupのShale&pyroclasticliteと説明がある.南アの高速道路は中央分類帯がほとんどな い.速度は80〜120km/hまで場所により変わる.Mahalisburg QuarziteはEscarpmentのRidgeを作りやすい.Transverg Supergroup.
 Middleburgのあたりはどこまでも平原が続く単調な風景.PowerStationとCoalMine以外に見る物なし.Middleburg からPretoriaへは片側2車線.しかし分離帯はなし.とにかく河の密度が低い.Middleburg直前でPretoriaまで138kmの表示が 出る.Middleburgへの分岐を抜けてさらに西へ.空は一面の曇り空.雨は峠だけだった.南アでは夜結構風がでることがある.昨夜は誰かが Monkyの宿の屋根へのattackがあったと言っていた.ほどなくcoal mineを左にみて,さらにPowerStationが続く.ShellのUltraStationでトイレ休憩.トイレ掃除の人が盆を置いていて,みん な何セントかの硬貨を置いていく.私は一番小さいコインを置いた.最後にGavinの挨拶があった.彼はみんなの名刺を集めて回っていた.淀川長治に似た もう1人のなまりの強いツアーガイドが参加者1人1人に挨拶して回ってくる.その国の挨拶の言葉を入れながら,本当にFriendlyというのを絵にかい たようなおじさんだ.もう少し英語が分りやすければもっといいのだが.彼はバスに乗る前に,もし巡検の予定があったらぜひ連絡してくれ,もっと安くて良い ホテルで大変チープに巡検を組んであげると言ってくれていた.
 ラテライトの強烈な紅色の畑のそばをハイウェイは一路西へ西へ.空は曇天.スコットランドのProfと朝食を共にしたとき,本当にフレンドリーなグルー プと彼が言ったがその通りだと思う.きさくに話せるというのが大事だ.モ ンゴルのGさんはモンゴルではBankの倒産が怖くてお金を預けられないと言っている.ここ数年そういう状態だそうだ.日本に住んでいると 考えられないことが現実の世界では起きている.気がつくとバスの時計はこの旅の間中(といってもバスと運転手はダイヤモンドの日に変わったのだったか) ずっと30分進んでいた.
 ほどなく1週間ぶりに夕暮れのヨハネスバーグ.空港によって何人かが降りる.のこりはクラウンプラザに戻る.参加者に礼を言って別れる.日本人3人と私 でタイレストランで飯を食べることにしていたが,レストランが満杯(台湾人観光客?)で結局自室にルームサービスを頼む.トムヤンと焼き飯の定番は例に よって量が多く.食べ残す.これ勘定書きのシステムを理解していなかったため,サインをした上にキャッシュで払ってしまい失敗.このR100ドル程が翌朝レスト ランが閉まっていたため支払いの確認ができず2重払いになってしまった.duplicate paymentとフロントでかなり執拗に主張したが,レストランが開いていないため,時間ぎれで泣き寝入りする羽目に.領収書を取らなかったのが失敗だ が,ここはサインのみで対処しなければいけなかったところ.ちょっと高い授業料.

8/5 ヨハネスからルサカへ(第2の旅の始まり)    
 早朝,4h50m起床.上記レストランの支払いの交渉は時間ぎれで仕方なく打ちきり,MagicBusの時間をフロントで聞いているところにボツワナの セドリックが現れ,一緒に空港に行こうと言ってくれる.ありがたい.彼とMagicBusに初めて乗る.紅い唇マークのワゴン車が荷物車を引っ張って時間 どおり現れた.1人R80と格安.サンプル箱が重いのでR2ずつTipを渡す.サントンサンホテルで女性が1人乗ってくる.セドリックと私が同時にグッモーニンというので,一瞬びっくりしていたが,台湾人だと いう.流暢な英語をしゃべる.そのまま空港へ.途中交差点への車線変更の際に赤いハッチバック車が後ろの荷物車にガツンというショックで接 触.車は交差点で急激にUターンして逃げてしまう.ドライバーに台湾の女性がナンバーを連絡して被害届けを出せという風に言っている(ように思う).ドラ イバーは一旦車を停めて,被害を確認.たいしたことはないらしい.猛スピードで逃げた赤い車にヨハネスバーグの夜の恐ろしさをちょっと実感してしまう.程 なく空港に到着.降り口で早速知らない男がもう荷物車のふたを開けて,荷物を取り出している.仕方なくR5渡すと案内するからとついていく.セドリックが カートを持ってきたのでそれに荷物を載せて空港内まで歩く.セドリックが領収書を空港内のバスのカウンタでもらう間にさっきのついて来た男がその横のツー リストのカウンタに案内するという.すかさず例の台湾の彼女がAre you a porter?と聞いてくれて,今度は流暢な日本語で「こ の人ポーターじゃないですよ.気をつけた方がいい!」と教えてくれる.本当に感謝.彼女に礼を言って別れる.早速セドリックと2人で郵便局 を探す.ほどなく1Fに見つけたが,何と閉まっている.Gavin氏は24h営業だと言っていたのに.途方に暮れるが,案内板をよく見て一安心.M-F  7:00-21:00 と書いてある.Lucky!ここでこの朝空港で待ち合わせの約束をした,日本から到着しているはずの大阪の生物教師の友人A氏を探してうろうろするが見つ からず.セドリックは所用で1Fへ行き,私は再びエレベータでGF(グランドフロアー)に戻り郵便局の前で待っていると,7h前に職員が来て窓口を開けて くれる.用件を継げて2箱の重さを測ってもらって驚く.17.5kgと18.9kgとtoo heavy.いつのまにこんなに採ったのか.要らない資料,本,服やハンマーも入れている.自分宛ての宛名とvalueを0と書く(これはI氏に教えてもらっ た).shipping costは船便なのでR323.50とR340.00で計R663.50(約7000円)と結構安い.2か月程かかると言っている.支払い はRand現金でないとだめとのことで,向かいの両替カウンタでUS100ドルを両替.R963とやはりレートがホテルよりかなり良い.これで支払う.セ ドリックを見失ったのでとりあえず1Fに上りcheck inカウンタへ.ルサカ行きのチケットを見て,パスポートのVisaはどこだと聞かれる.それを示しただけで全く問題なく発券してくれる.ついでに窓際を 頼む.バゲッジはカウンタ入り口で23kgと測られたが,問題なくOK.これを預ける.そのままカウンタの横をすり抜けてimmigrationへ.係り の女性にパスポートと搭乗券をみせてすぐOK.手荷物のX線検査を受けて,荷 物を受け取る際に係りの職員が「ニンハオ」,続いて「こんにちは」と声を掛けてくる.思わず「こんにちは」と返す.愛敬のいい男だ.すぐに duty free shopの連なるロビーへ出た.A氏とここでばったり出会う.キャセイに乗った彼は聞けば,ブッキングでビジネスクラスで来れたとご満悦.確かに数万円高 いチケットなのでそれぐらいは当然か?ザンビアのG氏への土産に特売のスコッチ2本をR199で買う.彼はサファリ用の帽子を買う(これ結局無用の長物 に).ほどなくセドリックとも出会い,3人で空港を見渡すレストランでお茶を飲む.我々はコーヒー,彼は紅茶.ボーイがUS5$をチェンジしてくれと言っ てくる.手持ちがなく断るが,セドリックが相手にしてはいけない.かな らずchangeの時にfakeするからと釘を刺してくれる.彼は南アにあまりいい印象を持っていない.デンジャラスだと言う.決して旅行 者には見えない黒人の彼が言うくらいだから相当なものだと感じ入る.夜,車は交差点で止まってはいけない.15-6才の少年が金をせびってきて断ると,靴 下の中から拳銃を出してくるとのだいう.この巡検後,彼はまたボツワナでダイヤモンドのフィールドサーベイに向かうという.サファリと同じでサバンナの中 をランドクルーザーで駆け回るのだという.結婚はまだでそれまでに金を貯めるのだと言っていた.本当に良い奴だった.
 そのあと彼が21番ゲートのエスカレータまで送ってくれた.彼に礼を言い,再開を約束して別れる.搭乗口でA氏がザンビアのG氏に電話を掛ける.国際電 話のプリペイドカードを買ったという.私も自宅に電話する.日本は夕方になるはず.やがてゲートが開いて床の低いbusに乗らされ,SA62便のタラップ へ.しばし南アフリカとお別れ.(以下ザンビア編に 続く) 



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