47期生卒業文集に寄稿の小品(2005年3月寄稿)

<あ ストレインジ ナイト>                              おかもと よしお


その夜,不思議なメールが届いた.差出人はtime-navigatorとだけあった.どうせいつものSPAMだと思ってPCのゴミ箱に入れかけて,そのメールのタイトルを見て手が止まった.『過去ともう一人の貴方へのいざない』

「私たちは貴方の過去や,現在も私たちの世界にお住まいのもう1人の貴方と自由に出会うことのできるサイトを作りました.もちろん嘘ではありません.嘘だとお思いなら下のURLをクリックしてください.あなたの過去の一端をお見せできます.もちろん経費はかかりません.その記述の下に奇妙なURLがあった.http://www.past-view.com/~xxxxxxx/index.html

その記述を見た瞬間に彼の胸は高鳴った.そこにはほとんど誰も知るはずのない自分の学生時代のペンネームがローマ字で綴られていたからだ.いやひょっとするとその頃,大学の寮に住んでた時代の誰かの悪ふざけかも知れない.警戒心はどこかにいってしまった.「Utsu季のユーラシアへ」.思わず私はそのページにあった昔の自分の詩集のタイトルをクリックした.


「風が伏流する喪に向かって」    XXXXXXX

私の頭の中で霧よりも青い雨が煙り

吐息よりもあえかな楔形文字のメッセージが這う

華氏Love度の水銀の蒸気は昏い地雷原を越え

はるかにカルルスバッド地向斜の向こう

幻の中世に鬣(たてがみ)のように溶けた.


詩人の巻き続ける不安

甲虫達と夜のための仮想敵(イディアルアーミー)

第三石器時代

やはりシジフォスの寝返りのように

都市に偶像(イコン)を孕んだ風が撃たれる

熱い夢の衝撃波(ソニックブーム)

時よ!願わくば錬金術の森へ

全ての紅い挫折の群れへ

真珠色の原子雲を贈れ!


私のもう1枚の記憶の中を通りすぎる詩人

透明な地平線を売り歩く少年よ

むしろ時の砕氷船を午前N時に放て!

虚数(イマジナリ)の闇への終曲

私たちの悔悟と錯誤のエクマン螺旋

ネガティブな忍耐と哀愁

風が伏流する喪に向かって―――


 教員試験に合格したあともなかなか正式採用が決まらず,遂に3年目の夏を迎えたある寝苦しく暑い深夜,書き散らした詩だった.当時の何とも言えない焦燥の匂いのようなものを窓際に感じて背中がヒヤリとした.一体誰が何の目的でこんなページを作ったのか
-----.またメールの後の方にはもう一つのURLがあった.

「もう1人の貴方が私たちの世界に住んでいます.その方から貴方に質問が来ています.質問を見たいときは次のURLをクリックしてください.http://www.duplicate_you.com/~xxxxxxx/index.html

今度は私の本名が書かれていた.もう警戒心はまったく無くしていた.私は思わずそのサイトをクリックした.


「や はりやって来ましたね?<カラスと呼ばれる少年>さん?私は貴方がここにやってくるのを疑いませんでした.私は最近,村上春樹の<海辺のカフカ>を読みま した.貴方も読んだところでしょ?そこで貴方に2つの質問をします.それに答えてくれたら,貴方を私達の世界にお連れすることができます.その方法は貴方 あてのメールの最後に案内があります.


質問1:なぜジョニーウオーカーさんは物語りの最後の方で主人公がいる森を目指したのですか?

質問2:佐伯さんとさくらさんの関係が最後まで書かれていなかったのはなぜですか?


この質問への答えを下の欄に書き込んでください.それが貴方のパスワードになります,貴方はそのパスワードで私達の世界に入ることができます.ただし一言 だけ注意があります.私たちの世界に入るときに,貴方には1つだけ事件が起きます.そしてその事件のあとに貴方は貴方の中のネガティブな感情をすべて喪い ます.それはあの時こうしておけば良かったとか.あいつにだけは負けたくないとかそういったあなたがいつも捨ててしまいたいと望んでいた感情です.しかし それを乗り越えて私達の世界に入ってしまえば,貴方は貴方の世界の人たちと今までどおり暮らせるほかに,私達と同じように必要な時に貴方の過去にも戻れ, また別の貴方の人生をやり直すこともできます.もし躊躇があるなら1晩だけお待ちします.1日ゆっくりと考えてまたこのページを辿ってください.それじゃ あ今夜はこれで−−.」

 不思議なメールとWebサイトだった.案内どおり1日だけ考えることにしてPCの電源を落とした.その夜は当然なかなか寝付けなかった.明くる朝は日曜日だったのでかなり遅く起きて念のため,はやる気持ちを抑えて昨夜のPCを起動してみた.Netscapeのメーラーを起動した途端,いやな予感とともに突然アンチウイルスソフトのロゴが出た.しまった!画面に案内が出る.「ウィルスNetSkyXXXをメールボックスで発見しました.駆除します」.おきまりの処理の流れが収まり,ウイルスのロゴが消えると予想どおり,メールBoxは空になっていた.あわてて記憶を辿って昨夜のURLも打ち込んでみたが404NotFound. そうだキャッシュに残っているかもと一縷の望みをかけたが,キャッシュファイルも予想どおりすべてクリアされていた.これで昨夜のサイトに戻るすべはすべ て失われた.―――.絶望感ともあきらめとも取れぬ感情が1日重苦しくのしかかった.「昨夜躊躇せずにサイトをクリックしておいた方が良かったのでは?い やネガティブな感情こそが我々を我々として存在させている.それを喪うことは人間を失うことだ---.『所詮誰かの手の込んだいたずらだよ.忘れるんだね-----.』<カラスと呼ばれた少年>が肩口でささやいた.その日の夜,私は重い腰を上げていつか取り寄せたいと思っていた例の資料を探しに再びPCの画面に向かった.

それから半年後,-----そのとき私はxx才で,夜明けのナイロビ空港に着陸態勢に入ったBritish Airのエアバス300の狭い窓際に座っていた.イヤホンからはLed Zeppelinの“Since I've been Loving You”が 流れていた.ジミーペイジのナーバスなギターソロが佳境を迎えようとしていた.上司や家族が止めるのも聞かず停年をかなり残して退職した私は,その資料に あったアフリカの見知らぬ国に赴任するシルバーボランティアに応募した.あのメールとサイトがどこかで影響したのかも知れない.見知らぬ土地への不安と期 待が,滑走路を目前に里心として出始めた過去の夢の記憶と葛藤しているのを,そのとき快く感じていた−−−.(未完)

※ 文中,村上春樹の小説から幾つかのモティーフを採っています.詩は筆者の過去の作品を改訂しました.


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