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前泊で泊ったのは館山のビジネスホテル.
| 夕食は東京湾のあさりの深川めしとギネスビール.千葉のデパ地下で買ったものでした.美味しかった!
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最初の見学地は館山市見物(けんぶつ)海岸,砂浜の東側にある海食台を見ます.低位の段丘(海食台)が1923年関東地震,高位の段丘が1703年元禄の関東地震の際の隆起によるものと一般的には考えられている.
| 1923年関東地震で隆起したと考えられる海食台の高さは人の背丈近くあります.この隆起量については上記文献2と巡検案内に詳細な議論あり.
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東側から見た低位段丘.人の背丈ほどあることがわかる.砂浜や地層が黒いのは関東の特徴(三浦半島巡検でも解説)
| この断面にヤッコカンザシなどの澪線を示す生物の痕跡が残っています.
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現生のヤッコカンザシ.ややばらついて存在する分布の高度の上限が澪線の基準面(ほぼ平均海面)にされると文献にある.
| 古いヤッコカンザシの高度を測定して,関東地震の際の隆起量を推測する.しかし上記文献にはこれらの生物痕跡や海食台といった地形の情報だけで,地殻変動を見積もることの難しさの詳細が書かれています.我々は論文に書かれた数字だけを鵜呑みにしがちですが,そのデータがどのように得られたのかという吟味の重要性を痛感します.
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2段あるうちの上位の段丘(海食台)です.地層の時代は中新世から鮮新世(地質図解説書)で,東京湾を挟んで対岸にある三浦半島の地層にほぼ匹敵するのかな?(三浦半島の巡検を参照)
| 移動の途中でご覧の神社に立ち寄ったのですが,ここの資料はないのですみません.
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見物海岸より東にある沖の島を訪ねます.自衛隊の基地を海側に見て,かなりの距離を歩きます.この後側にある高ノ島は,関東地震の隆起で陸続きになったとか.
| 堤防の向こうに見えるのが沖ノ島.こちらは関東地震ではなく,自衛隊基地
の埋め立て後に砂州ができて陸続きになっている.この島の海面付近から縄文時代の遺物が出てくる.これは当時数10m海面が低かったことを示し,縄文時代
以降,この場所が沈降したことを示しているという.
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さて1日めの最後の場所.今度は太平洋側に開けた海岸段丘を訪ねます.最初はローカルな線路を渡って,和田・威徳院というお寺を訪ねます.
| ごらんのようなお寺の階段の途中に.
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東大地震研Y先生の視線の先に,石碑が見られます.階段の上から5段目にあります.これは元禄関東地震の津波の浸水高さを示すものです.この場所の標高より10m近い津波があったのではないかと推定されている.これは房総半島に知られる津波の高さでは最大のものだそうだ.
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さらに登ったお寺の高台の上にも.千葉県での津波の死者は6534名と推定されています(諸井・武村,2004など).
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夕方,宿舎近くの場所で今日1日の巡検の講習.固着生物による隆起量の推定の話.この場所の写真は私の三浦半島巡検のページにあります.
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古文書などから古い時代の地震の地殻変動の痕跡を調べるとても地道や調査.地球物理の人は簡単にこのようなデータをモデルに使うけれども,その元のデータの調査はとても大変なのだという話が印象的であった.
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