有珠山(2000年3月末の噴火後,5ヶ月が過ぎた2000年8月時点での写真)と昭和新山
 
支笏湖対岸から見た有珠山全景中央右.新しい火口から2本の噴煙(水蒸気)が見える. 新火口から2本とさらに右側の火口からも1本の水蒸気が昇る.
洞爺湖温泉街と新火口.極めて両者が近いのがよくわかる. さらに新火口に近づいたところ.この時点ではまだ火口周辺は立ち入り禁止だった.
新火口側の道路は地殻変動で陥没してこの有様 同様に反対側の道路の変形
三松さん(昭和新山の持ち主のお孫さんで現在昭和新山博物館長)の案内で普段は立ち入り禁止の昭和新山に登ります. まだ熱く水蒸気が立ち上る山肌が不気味です.
急傾斜の山肌を縫うように登ります. 地表面のすぐ下にまだ数百度のマグマが冷えていない場所があり,踏み抜くと危険なところです.中央部は誰かが足で踏み抜いたあと.
山頂近くは赤茶けたいかにも火山という色の溶岩がごろごろしています. 有珠山を背にして立つ三松正夫像.地元の郵便局長であった彼は昭和19〜20年の噴火(昭和新山)の詳細を綿密なスケッチで残した.このスケッチ は畑の中に突如誕生した溶岩ドームの成長を克明に記録したもので,戦後「三松ダイヤグラム」と呼ばれ世界的に有名になった.彼はその後,私財を投げ打って 昭和新山の土地を購入し,開発からこの山を守ったことでも有名.
噴火で避難場所に仮小屋ずまいの有珠火山観測所 観測所の内部では各地の微小地震や地殻変動の観測データが刻々と自動記録されていました.
子供たちに有珠山の説明をするマスコミでもおなじみになった北海道大学の岡田先生.有珠山の火山ドクターとして,この噴火の”予知”に成功された.いつも赤い服を着ておられたのが印象的. おまけ:地元名物とうもろこしに舌鼓を打つ岡田先生と2ショットを取ってもらった筆者

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