下見3日目
3/28(水)

7:00 モーニングコールにて起床.
6:00 1階レストランにてバイキング朝食.今日は昨日行き残した城壁の上に上がる予定.そのあと交流校との打ち合わせの予定.
8:30 Gさんの迎え.早速城壁の側の道を西門に向かう.昨日,城壁は午後は6時にしまうのが残念.夜ライトアップがきれいなので,上がれるといいのだがやはり治安面の問題とか.門について料金を払い西門に登る.朝まだ早いのに欧米人の観光客が多い.西門の楼の上からは西に延びる広い道路の向こうにシルクロードが続くはずだが,今日は少し黄砂が強くなり,霞んでいる.門の中は広場になっていて,城門の開けて,堀にかかった跳ね橋を下ろし敵をここへ誘い込んで狙い撃つための場所らしい.車はそこへ駐車する.Gさんによればこの城壁は明代に修復されたもので,唐の頃のものはもっと広くおおきなものだったという.しかし楼の屋根には花が咲いていて時代を感じる.ヨーロッパの城壁都市(行ったことはないが)と比べてみたい.

   
西門この上からははるかシルクロードが見える!はず. 眼下に朝の公園では社交ダンスのグループが踊る


城壁の上は自転車をレンタルしてサイクリングで1周できるとか(約14km).一応遮蔽の門があった.

ぐるっと城壁を一周して西安の雰囲気を十分に味わったあと,城壁を後にして,今日のメインである交流予定の陝西師範大学附属中学へ向かう.
 
 市内を通り,立派な門の前につく.途中で合流していたCITSのOさんが警備員と掛け合っている.結構警備が厳しい.やっと門が開いて,キャンパスに入る.大きな新築の建物の前ですでに副校長のIさんが待っていた.すぐに建物の3階?の接待所(応接室か?)に案内される.名古屋空港の免税店で買ったお土産用の日本酒を副校長に手渡した.向こうは袋に入った学校紹介のパンフなどをくれた(後でバッチも入っていたことが解る).話はOさんが通訳をしてくれる(彼は副校長と知合いとか).向こうは早く来てほしい様子だったが,とりあえず交流の確約を取り付ける.うちよりかなり大規模な学校のようである.Gさんはしきりに彼女の息子さん(小学6年で背が高くスポーツ万能らしい)をこの学校に入れたがっていた.Oさんによると西安ではかなりのエリート校で難しいらしい.その後,ロケットの開発史を模型で説明した部屋と学校の歴史を紹介する部屋に案内される.学校の歴史が写真と説明文で博物館のように展示してある.偉くなった卒業生や化学,物理などの国家規模のコンクールで上位を取った記録などが誇らしげに飾ってあった.隣にはスポーツ,芸術関係で得たトロフィーが飾ってある.かなり自信を持った学校であることがわかる.副校長も自信たっぷりの様子だった.構内で一緒に写真をとり挨拶をして別れた.とりあえず今回の下見の重要な目的の一つがかなった.

  
学校の歴史を紹介してある部屋            トロフィーの並ぶ陳列ケース.この部屋の前には立派な伝統の玉の飾り物もあった.

   
副校長と別れ際に記念写真              威風堂々の附属中学の建物 

さて,附属中学をあとに一旦西安市内に戻り,お茶を飲む店に連れていかれる.ここで店の小姐が丁寧にお茶の入れ方を説明したあと,そのお茶を飲ませてくれる.日本の茶道(セレモニー)と異なり,おいしく飲むための流儀だという.都合5種類のどれも特徴のある茶ばかりで,特に最初の2つは舌がしびれるように苦かったがあとでじわっと甘みのでる不思議な味だった.結局,ここで筆者(岡本)は2000円というお茶の缶を買ったが,ひとつおまけしてくれた(あとで店長がさらにもうひとつおまけしてくれる).


手前の台の上で見事なお点前でお茶を入れる.あふれたお湯は木の台の中に吸い込まれる.

この店をでたあと,さらにもう一つショッピングセンターを訪れる.たぶん観光コースに組み入れられているようだ.立派な骨董品や最近流行りの唐服などがあるが,結構高い.ただし,修学旅行ではスーパーの食品を除いてすべて半額にしてくれるという.
昼食は昨日夜の「唐楽宮」で中華バイキング.ちょっと中華が飽きてきたので,焼きそばなどを食べる.


昼食はバイキング.コーヒーがほしかったが見当たらなかった.

さて,昼食後は,まず昨日行き残した「陝西歴史博物館」へ.
外国人は左側の建物(土産物店が構える)より入場.原始時代より,順に各王朝の出土遺物や遺跡の写真などが展示されている.展示室は非常に大きく,入場者が多くないこともあって,ゆったりと見ることができる.ただし,唐代以後は宗元明清と展示室がひとまとめになっており,西安が古代〜中世の都市であったことを強く印象づけられる.

  
北京原人のレプリカ                 有足土器

  
銅たくに似た楽器                  各種の鏡

その後,もう一つの交流先である,西安外国語大学へ向かう.ガイドの王さん,Gさんともにここの日本語学科の出身である.この大学の正門も警備は厳重.キャンパスをくぐりぬけ,日本語学科の棟に入る.ところが,どうも連絡が悪く,肝心の教授は自宅で待っているとか.仕方なくキャンパスのすぐ裏にある教官住宅のアパートに向かう.アパートはやや古く汚れがめだつ.Gさんも今福井大学に留学中のご主人がこの大学の先生なのでここに住んでいるとか.しかし,6月にキャンパスの中に立つ立派な高層アパートに引っ越すらしい.和室を1部屋用意するとのことで,中国中学を希望する筆者の娘のホームステイを早速予約した.さて,階段を上り詰めた6階に日本語学科主任教授張さんの自宅はあった(各部屋の玄関に福の字を逆さにしたポスターをはるのが縁起ものらしい).質素な食堂に招き入れられて,早速もう一本用意していたお土産の日本酒を手渡す.快く我々の交流の申し出をOKしてくれた.ただ中国に来ている留学生と附校生との交流の件は他学科のことなので難しいだろうとのことだった.日本語学科の学生は他の学科に比べ,求人倍率が3〜4倍と高いらしい.ITを中心とする大手企業に就職していくそうである.他にフランス語,ドイツ語,ロシア語などの学科があるとか.お礼を言って辞した.
大学の正門前のアパートは古く,ちょっと以前の中国のイメージ.その前に屋台の店などが並び,これが学生街なのだろう.

   
西安外語大のキャンパス               日本語学科のある棟.学生が玄関にスローガンの垂れ幕を下げていた.

再び「紅旗」にのり,王さんからの頼みで,ホテルの下見を行う.こちらのリクエストで4つ星で日本人の少ないところということで「西安賓館」という民族資本のホテルを紹介される.4星といってもかつて竹下登が泊まったという落ち着いたホテルである.ただ心なしか部屋が暗くカーペットが汚いように思えた.

   
ツインの部屋.個人で泊まるには十分.        大食堂.ウオールナット調で統一されたホテル.

この後,全日空ホテルに戻り,若く美人の日本人セールスマネージャーにホテルの概要を聞く.部屋は我々の泊まった部屋と基本的に同じで,男女を階を分ける等のリクエストは無論OKとのこと.ホテルドクターが昼間を除いて常駐して,診察ができる.手に負えない時は10分くらいで病院があり,通訳を同行させるとのこと.また,このホテルは水道や滅菌.チップは要らないとパンフレットに書いてある.フロントも片言の日本語が通じる.難を言えば日本人観光客が多いことと,エレベータが中央の1か所にしかないことか(3台あるが).しかし,夜,ライトアップされた城壁が目前に見えるサイトとしては申し分がなく,上記の点を補ってあまりあるように思う.

17:00 さて,最後にS氏たっての希望の「清真大寺」を夕方訪れた.例のみやげ物屋街をくぐり抜けるとこんなところにという具合に門の入り口が表れる.どうみても仏寺にしか見えない構造だが,中に入ると微妙に違いが出てくる.青い色が基調の装飾とか,アラビア文字が点在したり.そうこうするうちに身を水で清めた信者達が出てきて,コーランの声が大きくなる.するとどやどやと近隣の信者が例の白い帽子やターバンのような被りものを頭につけて境内に三々五々集まってくる.顔や中国人だがふるまいはイスラム教徒そのものである.語らいながら,観光客をしり目にどんどん最奥のお堂の中に入っていく.どうも男ばかりで,後からきたチャドルを巻いた女の人は子供を抱いたまま,お堂の外で待っていたようだ.お堂の奥には何やら光のドームのような飾り.男達はその方向に礼拝を繰り返す.その様子を外にいるアメリカ人と思われるグループが興味深そうに見つめている.しばらくすると礼拝はあっけなく終わり,また人々は何事もなかったように帰っていった.日に5回の礼拝のために彼らは生きているとS氏は語った.

  
「清真大寺」へ向かう路ぞいの賑わい.土産物屋が並ぶ.「清真大寺」の入り口.ちょっとわかりにくいところにある.

  
「清真大寺」の境内に夕刻5時10分信徒が集まってくる. 本堂の奥に壁に書いた光のドームが垣間見れる.

  
遅れてきた子供を抱いた女性はお堂の中には入らない. 清真大寺から帰る路沿いの食品屋街.そこかしこから湯気が上がる.

見学はこれが最後.みやげ物屋街を帰る.道すがらGさんが食べ物の説明をしてくれる.果物,ヒマワリの種(1袋5元をS氏が買う)や牛肉の胃袋を紅く染めたシシカバブなど.野菜を入れた蒸しパンなどもおいしいとか.車に戻り,鐘楼の側まで行く.ここで車を降り,夕食を食べる「徳発長」に入る.22種類の餃子が有名な店.まず,ギョウザ作りを見学.個室で1時間程で水ギョウザ作りを教えてくれるそうである.さて肝心のギョウザの方はいろいろ出てきて見ていて楽しい.しかし焼きギョウザはたった2個しかでなかった.あと醤油と酢を合わせて,それにラー油をいれてたれを作るが,この醤油が日本のものとは風味が異なる.日本からギョウザのたれだけを持参するのも一つの手だとあとで日本のCITSの上村さんが教えてくれた.お腹が一杯になったので水ギョウザは少し食べ残した.しかし,最後の小さなギョウザの入ったスープはおいしかった.小さなギョウザの入った数で運を占うとか.

このあと,鐘楼前の広場を散策.凧を売る人あり.時間は7時頃と遅いがあたりは明るい.西安が標準時を設定している北京に比べ遙かに西にあるからか.ここで買い物をして帰るというGさんと別れ,西安で初めて見た地下道をくぐる.中国で初めてみる3人のストリートミュージシャンがギター片手に上手い唄を聞かせる.ちょっと感動した.その人だかり通り,路をへだてた出口を出ると郵便局があった.まだ開いていたのでS氏はここで通常切手を買う.筆談でうまく目的を果たしてちょっとびっくり.この後,ちょっと大きな書店によるがお目当ての科学書は見当たらず,WindowsXP,Linuxなどコンピュータ関係の中国語文献の多さに驚く.そのあと,繁華街をあちこちぶらぶらする.歩道にベレー帽黒ずくめの制服で立つ集団は駐車場整理をしているとわかる.歩道が広くとられ,店に入る客の駐車場に使われているようだ.携帯を手に歩きながら声高に話す若者多し.街に様々な新しい息吹が感じられる.西安に1店しかないというマクド前をとおり,たこ焼きの日本風のチェーン店や中華まんじゅうの店など,若者中心のたくさんの人々を引きつけている.相変わらず危ない車を何とかかわして,角を曲がるときガードマンと女2人の言い争いにでくわす.そういえばこんな争いはこれが最初で最後か.やっと城壁を越えた暗がりの歩道で,昨日も見た老女の乞食がアルミのさらをたたきながらこちらに訴えてくる.かつて中国共産党の偉い人が社会主義中国には乞食はいない.と大見えを切ったのを覚えているのだが,−−−.昨日も渡るのに一苦労した南門前のロータリーの車の洪水を地元の人の横でタイミングを取りながらなんとか渡り切る.まだ少し早いので,ここでロータリーの壁に腰を下ろしてS氏と長い間,ウオッチングする.ライトアップされた城壁を前に,洪水のように流れる車とその間をたくみに縫っていく人と自転車.カオスと呼ぶにふさわしいその生物の消化器官のような流れに半ばあきれ,半ば感心しながら2人でこの文明の意味について少し話した.S氏は車と人を峻別する近代合理主義とまったく異なる原理(分別を拒否する文化)でこの国は動くと持論を述べた.確かにこれだけ危ない交通事情なのに,目撃したトラブルは1件だけだった.2日間のあわただしい下見の経験や見聞を再度思い起こしながら,いつまでも流れる人波を見ていた.この日は結局つかれてしまい,ホテルでのミーティングは中止した.夜プレミヤリーグやCNNを見てるうちにしらない間に寝てしまった.