この大型漁船「第18共徳丸」は2013年に解体されたという.
https://www.huffingtonpost.jp/2013/09/09/18th-kyoutokumaru_n_3891553.html
最初に訪れたのは気仙沼市杉ノ下地区への道.がれきがまだ集積された地域. | 1年経って,再度津波の恐れのある低い土地に新築された住宅と,隣接する被災者用の仮設住宅のコントラスト. |
海
からさほど離れていない場所に真新しい慰霊碑が立っている.この場所はわずかに標高11m.しかし市の指定避難所があったという.ここに避難した村人93
名が犠牲になった.300人あまりの村人の約1/3が犠牲になったことになる.津波の高さは14mだった上記文献にはある.他のサイトには18mという記
述もあるが. | 真新しい慰霊碑に文字が刻まれている.上記文献「杉の下高台の悲劇」参照. |
海岸の様子.東側. | 西側の海岸の様子. |
海岸から見た高台方向.鉄塔のある場所が避難場所だった. | 次の場所への移動途中の風景.まだ残骸が多数残っている. |
次に気仙沼港に移動.魚市場のビルの屋上から港を見る. | 船の係留される桟橋は破壊されている.津波を忘れたかのようなうみねこが多数いた. |
港から陸側に数百m車で走る. | すると見えてくる巨大な船体.港から750m内陸部に運ばれたという. |
驚くべき風景.第18共徳丸。全長約60メートル、総トン数330トンの大型巻き網漁船とhttps://www.j-cast.com/2013/03/30171763.htmlが伝える. | 反対側から見る.残念ながらこの船体は今は解体されすでにない. |
この大型漁船「第18共徳丸」は2013年に解体されたという.
https://www.huffingtonpost.jp/2013/09/09/18th-kyoutokumaru_n_3891553.html |
スクリューと舵の大きさがわかる. |
JRの駅が近くにありました.鹿折唐桑の駅です. |
単線の鉄道はまだ復旧していなかった. |
この日最後の見学地点.気仙沼市のニノ浜にある石碑を訪ねる.ここも家屋は土台を残して残っていない. | 村はずれにある石碑を見る.打ち上げられた船. |
同行したM氏が見つめる「大地震それ来たぞ大津浪」の石碑.http://www.thr.mlit.go.jp/road/sekihijouhou/archive/karute/miyagi015.pdfに詳しい内容. |
また先ほどの船が見える場所に戻ってきた.この日はこれで終了. |
陸前高田かつての市街地に入る.見渡す限り家屋が残っていない.人物の後ろ,遠くにかろうじて残った市庁舎が見える. |
海に向かって立つかつての道の駅. |
道の駅を海側から見た所.拡大写真をよく見ると中段の手すり際に右の写真の赤い線がかろうじて見える.陸前高田市を襲った津波の高さがよくわかる写真. | 道の駅の階段を上り詰めたところから.中央右下に赤い線が書かれているのが,津波浸水の上限の指標.信じられない高さに記録されている. |
次に約400名いた職員(臨時雇用を含む)のうち,111名の犠牲者を出した市庁舎.屋上に逃げれた人がかろうじて助かったとされる.https://www.kahoku.co.jp/special/spe1168/20170312_02.html に詳しい. |
道路を挟んで立つ,同じように多数が犠牲になった市民会館. |
市庁舎玄関にある祭壇.津波から1年が経過していた.何年たってもここに立った時の声を失い,胸を打たれた衝撃が忘れられない. |
別の残った建物. |
こちらも多数の犠牲者が出た市民体育館. |
天井近くまで水が来たという. |
内部の様子. |
体育館前の祭壇の様子. |
体育館の前の広場にあった礎石.よく見ると銘板が逆さになっている.津波の威力を十分に伝える遺物. |
もう一つ,台座からもぎ取られた石碑.上方右に見えるのがさきほどの体育館. |
こちらは博物館.事務所前に祭壇がある. |
ここも天井まで水が来たことがよくわかる. |
移動途中に海岸沿いに見えてきた高層の若者向けの市民住宅. |
4階まで破壊されていて,津波の高さがよくわかる. |